「第三者委に異議あり」に異議あり:あまりに事実誤認のひどい『日経』2026年5月19日付記事

『日本経済新聞』朝刊の「投資」面に「大機小機」というコラムがある。このコラムがいつから続いているのかはわからないが、私が初めて日経を読み始めた1990年代半ばには既にあった。だから、少なくとも30年以上は継続していると思う。日経新聞の名物コラムである。執筆者は匿名の日替わりだが、コラムの内容からして日経外部の人材と思われる場合もある。

さて、 2026年5月19日(火)朝刊の「大機小機」は、あまりに事実誤認のひどい記事だった。「こんな嘘を書いて、訂正記事を出さなくていいのか?」と思わざるを得ないほどの「フェイク」である。

記事は、烈兎というコラムニストによるもので、「第三者委に異議あり」というタイトルで、最近の東大の不祥事に絡める形で、次のことが書かれていた。

「国立大学の法人化以来、表面的には企業に近くなった印象があるが、その理念や使命は異なる。学長は学内インナーである教員たち中心の選挙で選ばれる。企業の取締役社長が、株主ではなく従業員に選任されるようなものだ。つまり、東大では誰が中核的なステークホルダーなのかが不分明なのである。
学長のリーダーシップが強化されたとはいえ、企業トップとは比較にならない。教員の任免・昇級など重要な人事権は学長にはない。学内行政上の人事権は持つが、大半の教員の主要関心事ではない。」

これのどこが事実誤認なのか、わかるだろうか?

 

第一の事実誤認は、「学長は学内インナーである教員たち中心の選挙で選ばれる」という文言である。

正しい事実はこうである。国立大学の学長は、2004年度の国立大学法人化以降は、学長選考会議で選ばれており、2022年度からは法改正をうけて名称が変わった学長選考・監察会議によって選ばれている。学長選考会議と学長選考・監察会議は少し違いがあるものの、会議体の構成員は学外者と学内者が半数ずつである。

こうなっているのは、何も国立大学が自主的にそのように決めたのではない。国立大学法人法で明文化されているために、それに従っていることである(法人法第12条)。つまり、学長が「教員たち中心の選挙」で選ばれていたのは、法人化以前の話であって、いまの国大法は、学長が「教員たち中心の選挙」で選ばれないことを制度的に定めている。

 

もちろん、この烈兎なるコラムニストは、「学内で候補者の良し悪しについての投票をやっているではないか、それが選挙ではないか」と言いたいのかもしれない。だがこれも事実誤認だ。

まず、「学内での候補者への投票」の仕組み(以下、学内投票と称する)が存在する大学はある。だが、それは、このコラムのいう「選挙」ではない。「選挙」とは、投票数がそのまま選出結果となるもののことを指す。たとえ学内投票があったとしても、それはあくまでも選出にあたっての一つの参考意見であって、選出の権限は学長選考会議/学長選考・監察会議だけにある。だからこそ、2004年以降、多くの国立大学で、学内投票で最多数を獲得した候補者とは違う人物が学長に選ばれて、時に話題にもなったわけである。また、こうした学内投票の仕組みが選挙ではないことを明確化するために、大学によっては、かつては「意向投票」という呼び名だったものを、「意向聴取」と変更しているところもある。

さらに、こうした学内投票の仕組みが全ての大学にあるわけではなく、一定数の国立大学では、学内投票の仕組みすら廃止してしまっている。つまり、学長選考において、教員が投票する制度が全く存在しないところも多い。

以上からわかるように、「学長は学内インナーである教員たち中心の選挙で選ばれる」は、2004年以降の国立大学法人法にそぐわない事実誤認である。

 

第二の事実誤認は、「教員の任免・昇級など重要な人事権は学長にはない」という文言である。

正しい事実はこうである。2014年の学校教育法の改正(施行は2015年)をうけて、全国の国立大学・私立大学では、学長が教員の配置を決定することになった。具体的には、これにより、専任の教員の採用と昇任については、すべての案件を学長(または学長を含む上位役職者による合議体)が判断し決定することになっている。

たとえば採用人事の場合、学部や研究科が独自に人事を起こすことはできず、採用の希望があれば、まずは学長に相談し、これが認められたら初めて公募や一本釣りができるということになる。そして各学部や研究科が応募者の業績を評価し、採用予定者を決定しても、それは大学としての決定ではない。各学部や研究科は、学長に応募にまつわる経緯を報告し、採用予定者を説明し、これを認めてもらわなくてはならない。これが認められて初めて、採用を決定できる。

昇級(昇任)人事も同様で、各学部や研究科は、所属する教員を昇任させる希望があれば、まず学長に相談し、昇任の審査をして良いかどうかを認めてもらう。これが認められたら初めて、各学部や研究科は、昇任予定者の業績を審査する。もちろん、審査の結果については再び学長に報告し、説明し、これを認めてもらわなくてはならない。この二度目の承認によって、学長が、昇任を決定する。つまり、各学部や研究科の権限は、専門的見地から業績を評価し、最も採用に値すると思われる人物を学長に報告することに限定されているわけである。

これだけでも、このコラムの内容が間違いであることが分かると思うが、昇任については、これ以上に学長の権限の強い大学もある。どういうことかと言うと、一部の大学では、昇任とは、学長が学部長等に対して「そろそろこの人物を昇級(昇任)させるべく審査せよ」と命じる場合のみであり、各学部や研究科は学長に対して、自らの部局の教員の昇任の希望すら出せないのである。

こうした法制化とそれをうけての実態のいったいどこから、「教員の任免・昇級など重要な人事権は学長にはない」という文言が出てくるのだろうか?

 

要するに、今の日本の大学では、教員数の多いマンモス大学でさえ、こうした制度を学内で整えて運用することが必須となっているのである。それに比べると、民間で従業員数が4桁に上る組織で、社長が社員の任免・昇級などを一人ひとり審査しているところのほうが珍しい。つまり、大学のほうが民間以上に民間化しているのだが、現代日本の大学をめぐる法制度とその運用を、烈兎なるコラムニストは知らないらしい。

 

学校教育法の改正により学長の人事権が強化されてから、もう0年以上が経つ。国会が定めた法律によって法人化されてからは、もう20年以上が経っている。それなのに、烈兎なるコラムニストの頭の中は、いまだに「(国立大学の)学長は学内インナーである教員たち中心の選挙で選ばれる」とか、「教員の任免・昇級など重要な人事権は学長にはない」という、昔の(20世紀の?)制度理解にどとまったまま、一向にバージョンアップされていないようだ。勿論、人間には間違いがあるし、本人の理解がバージョンアップされていないだけならば、「御粗末」の一言で済む。

問題は、日本経済新聞が、これをチェックして直さないまま掲載してしまったところにある。これは、報道機関としては深刻である。報道機関が「フェイク」を語ってしまったのならば、訂正が最低限必要である。

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