メモ(インドネシア、ジャワ農業)

○内向きで閉ざされた農村社会(1):ジャワ島は人口稠密地域であり、リカードの罠が発生する危険性が高い。この地域は、緑の革命の成功例となったが、この農業開発が、ジャワを中心とする1960年代以降のビマス計画(米増産型農業開発)。肥料に対して多大の補助金が投入されただけでなく、灌漑施設の修復・増設でも政府の役割が決定的に大きかった。灌漑に関しては、基本的にオランダ時代に作られた施設の管理・拡充が中心事業であったが、幹線灌漑は公共事業省が管理し、末端水路は村が管理するしシステムになっていた。高収量品種栽培にかかわる普及も、農業普及員によって担われた(原洋之介『開発経済論』第2版、岩波書店、第6章より要約)。

→参考:
・大木昌「インドネシアにおける稲作経済の変容:ジャワと西スマトラの事例から」加納啓良責任編集『植民地経済の繁栄と凋落』(岩波講座東南アジア史 第6巻)岩波書店