読了

日本人はなぜ英語ができないか (岩波新書)

日本人はなぜ英語ができないか (岩波新書)

看板に偽りあり。つまり、書名が内容を現していない。だが内容はおもしろい。
具体的には、外国語を「目的言語」、「手段言語」、「交流言語」に分けているのが出色。ドイツ語、フランス語は、日本が明治に急速な近代化を遂げるために、先進諸国からさまざまな知識を吸収する際に必要不可欠な言語であり(特に医学、化学、光学、数学、生物学など)、これが長らく我が国の大学において、第二外国語としてドイツ語とフランス語が学ばれてきた理由であった。つまり、近代化のための「手段言語」であった。
しかし、世界に冠たる大国となった今、わが国において、ドイツ語やフランス語が「手段言語」として多くの大学で惰性的に学ばれるべき理由も必要性もない。ドイツ語やフランス語は、ドイツ圏やフランス圏の文化や歴史、ビジネスなどにのみ必要な「目的言語」に退いてしまっている。したがってドイツ語とフランス語の大学での授業は「目的言語」の域にまで縮小すべし。その代わりにマレー語、ロシア語、スペイン語アラビア語などを「目的言語」として学ばせる機会を設けるべきだ、というのが著者の主張。およそ大学というところは、授業科目のリストラができていない、しかし歴史的使命を終えた科目は大幅に縮小すべし、という著者の主張には大いに賛成したい。


では英語はどうすべきか。英語のほうは、逆に、近代化のための「手段言語」の域を通り過ぎて、いまや「交流言語」の域にまで達している。しかも、かつての近代化の時期と異なり、わが国が一方的に情報を受信するのではなく、わが国から世界に情報を発信していかなければならない時代になっている。したがって、かつてのような近代化のための知識を習得する「受信型」の授業ではなく、「発信型」の授業に組替えていくべき、ただし英語が操れる人材はそれほど多くは必要ない、よって国民全てに中学・高校で英語を教えるのは労力の無駄、というのが著者の主張で、これも違和感はない。