読了/石崎編『世界像革命』

世界像革命 〔家族人類学の挑戦〕

世界像革命 〔家族人類学の挑戦〕

トッドの家族人類学は、「スタティック」な「決定論」であると批判されることが多い(実際、フランスの大学で教えるある日本人教授は、「スタティックだ」と言っていた)。


しかし本書を読めば、「スタティック」という批判は、じつはほとんどあてはまらないことがわかる。というのも、本書のなかに収められたローラン・サガールとの論文によれば、ある地域の家族形態が外来から伝播した別の形態に取って替わられることが示されているからである。
また「決定論」については、確かにそういう側面はあり、これはトッド本人も認めているけれども、本書を読めば、かなり柔軟な決定論であることがわかる。
もう一つ、この決定論批判に関連するトッドへの批判としてよくあるのが、「議論がシンプルすぎる」というものである。確かにシンプルなのは間違いない。ただ破壊力のある理論というのは、往々にしてびっくりするほどシンプルだ、というのもまた事実である。実際本書をパラパラとめくると、トッド家族人類学は、経済、社会、歴史などさまざまな領域に強いインパクトを与える議論だということがわかる。自分は、トッドの理論のシンプルさを批判するよりも、その深化を考えた方が生産的だと思う。


興味深かったのは、以下の点。
①東欧のなかでも核家族が支配的なポーランドや、直系家族型のチェコでは、共産主義からの離脱がスムーズな一方で、それ以外では必ずしもスムーズではないという点。これは、共産主義体制が自発的に形成されたのが共同体家族の地域においてである、というトッドの議論と整合的(ちなみに、家族型を整理した欧州地図を見ると、旧ユーゴのうちスロベニアだけは直系家族になっていて、興味をそそられる。というのも、スロベニアは、旧ユーゴのうちもっとも早くに市場経済へスムーズに移行した国だったからだ)。

②平等主義核家族の地域では、移民との混交率が高いのに対して、直系家族地域や絶対核家族地域では混交率が低いこと。これは移民政策を考える上ですぐれた視点を提供している(前者では同化が進みやすく、後者では同化が進みにくい。前者はフランス中心部、後者はドイツとイギリス)。

③共同体家族は、ユーラシアの中心部において創出された後に、この大陸の周辺部に向かって広がっていったと考えられるが、その理由は、なんと、この家族組織モデルが軍事的な優位を与えるからだという説明*1


ただし、疑問に思える点もないわけではない。平等主義核家族地域では出生率が高く、直系家族地域では出生率が低くなるということを指摘して、なるほどと思わせる(p.99)。だけどよく考えてみると、スウェーデンノルウェーも直系家族地域なのに、出生率は高いのである。この点の齟齬はどのように説明されるのだろう。単なる例外として処理されるべきなのか、それともこのスウェーデンノルウェーの直系家族そのものがヴァリアントと見なされるべきなのか、よくわからない。全般的に直系家族地域で出生率が低くなっているのは事実だろうから、この点は突っ込んだ説明が欲しいところだ。


冒頭の石崎氏の論文は、トッドの著作を十分に読み込まずして、トッド家族人類学のエッセンスを学ぶことのできるという、まことにすぐれたレビューになっている。

*1:この意味で、共同体家族が観察されにくい中欧と西欧は、ユーラシア中心部の征服対象にさえならなかった「辺境」「地の果て」と見なしうるが、この論点は、欧州の辺境性こそが、逆説的にも経済発展を可能にしたというジョーンズ『ヨーロッパの奇跡』(isbn:4815803897)と呼応するように思える