「紛争予防論」・「平和研究」と「開発研究」

昨日2009年5月6日のテレビ朝日・報道ステーションで放映された特集は、いろいろと考えさせられるものだった。

特集の内容は、沖縄の不発弾問題。沖縄では、第二次大戦時に投下された20万トンもの爆弾や砲弾のうち1万トンが不発弾になり、このうち四分の三については処理が済んでいるが、まだ2500トンが不発弾として地中に眠っている、という。

投下量全体からすると、1.25%しかないこの残された不発弾は、しかしいまだに沖縄の市民を苦しめている。今年1月には、糸満市の水道工事現場で不発弾が爆発した際、作業員が重症を負ったほか、爆風で近くの老人ホームの窓ガラスが大量に割れた。沖縄では、陸上自衛隊(第101不発弾処理隊)が年に何百回も出動しては、その処理の任にあたっているそうである。

不発弾は、たいていは工事現場で発見される。その現場に不発弾が埋まっているかどうかは、地面を磁気探査すればわかる。だが、この磁気探査の費用が数十万円から数百万円かかること、公共工事の場合、磁気探査に要する費用の補助が国から出るが(地元自治体は2〜3割を負担する)、民間工事の場合、一切出ないこと、そのため、民間工事では磁気探査なしで工事をする場合が大半であること、さらに最近は財政難なので、公共工事でさえ磁気探査せずに工事をしてしまうことが多いこと、などが報道されていた(糸満市の事故も磁気探査なしだった)。沖縄県は、民間・公共にかかわらず、全ての工事で磁気探査の費用を国が全額負担するよう求めている。


しかし、わたしが興味を惹かれたのは、この不発弾の処理にあと80年もかかるという推計のほうであった。戦後既に64年が経っているが、あと80年ということは、戦争が終わってから不発弾の処理が終わるまで実に150年弱もかかるということになる。これは人間で言うと、5世代程度に相当する。「戦争は、戦後に生まれ育った人にも被害を与え続ける」、ということに改めて気づかされる。戦後処理は、いま生まれてくる子供が死ぬ頃まで続くのである。


そこで連想すべきは、アフガニスタンイラクではどうなのだろう、ということだ。使われる爆弾の種類や量によっても大きく異なるだろうが、似たような問題があるのではなかろうか。カンボジアでは、内戦時の地雷が、多くの人の足を奪ったし、今も奪っている。こうした途上国では、日本のようには、不発弾処理の技術や費用にも恵まれていないだろうから、事態はより深刻かもしれない。


最近の開発研究では、脆弱国家やポスト・コンフリクト諸国での復興支援・平和構築というテーマが、大流行である。開発研究がすぐれて実践の学である以上、これは当然のことではある。だが、沖縄の不発弾問題が突きつけているのは、事後の復興支援・平和構築よりも、むしろ紛争予防のほうが開発研究としてもはるかに重要だ、ということであろう。開発研究は、復興支援・平和構築だけではなく、紛争予防論・平和研究を自らの体系のなかに積極的に取り込んでいくべきであるように思われる。