読了/岩井『会社はこれからどうなるのか』

会社はこれからどうなるのか

会社はこれからどうなるのか


「機械制大工場」を設立・運営するために投下できる(希少な)資本を持っている者(「資本家」!)が優位に立てたのが産業資本主義であったが、ポスト産業資本主義の時代においては、資本を持っていることだけでは、利潤を得ることはできず、常に差異を生み出せるものが優位に立てる、したがって、人的資本という名の頭脳を持てる人間こそが、ポスト産業資本主義の主役、という主張には納得できる。また、産業資本主義の時代に主役だった製造業の多くは、企業特殊技能を必要としていたたために垂直統合型であったが、モジュール化によってそうした企業特殊技能が不要になったために、垂直統合型の大企業は崩れ、企業規模そのものが小さくなる、という主張にも強く同意。


本書がおもしろいのは、「だから企業特殊技能なんていらないんだ、これからは英語と会計と法律という汎用的な技能を身に付ければいいのだ」、などという馬鹿げたことを一切言わないことである。実際、岩井の主張はまったく逆で、たしかに製造業では、モジュール化が進めば企業特殊技能は不要になるように見えるかもしれないが、実際にはそんなことはない、ある企業がライバル企業に対して優位にたてるのは、誰でも入手可能なモジュールを組み立てるからではなく、その企業にしかないノウハウや人間関係、取引先との信頼関係など、他者がマネできないものを持っているからだ、という。そしてそれは、ある種の「特殊技能」だともいう。いわんや、製造業以外のサービス業などでも同様で、こうした「特殊技能」がないと、差異性を生み出すことはできず、差異性がなければ、企業は利潤を得ることはできない、というのが、ポスト産業資本主義の時代なのだ。


そして、株主主権的な企業では、人々に対してこうした企業特殊技能を高めようというインセンティブを持たせることは決してできっこないのであり、企業特殊技能を高めるインセンティブを高めるためには、お金にものをいわせようとする株主の横暴から自らを守るための仕組みとしての法人=企業が求められているという。


ポスト産業資本主義においては、差異性が利潤の源泉となる。だがその差異性は、個人が単独でビジネス化できるものではしばしばなく、他者との協調やコラボを必要とする。したがって企業は、利潤を得るためには、差異性をシェアする者を組織し彼らを外部に逃がさないようにしなければならないのだが、そのためには株主主権的な企業はむしろ妨げになる、そうではなく外部から自らを防衛する共同体的な企業が、これからの時代、必要になる、という。


本書で興味深いのは、従業員が長期的に会社に関与すること仕組みを作ることが大事であり、そのためにはESOP(Employee Stock Ownership Plan)を導入することが求められる、と明言していることだ。ESOPを導入すべき時代的な必然性がよくわかるという意味で、わたしにとっては有用だった。こうして「会社の未来」論は、ESOP論を要請するのであるが、ESOP論といえば、これしかない(↓)。