映画(「おいしいコーヒーの真実」)

おいしいコーヒーの真実
http://www.uplink.co.jp/oishiicoffee/


コーヒー経済の研究者からすると、いろいろ不満の残る映画である。

そもそも、上記のHPでは、「トールサイズのコーヒー1杯\330のうち、カフェ・小売業者・輸入業者が\296で90%、コーヒー農家は\3〜\9で1〜3%」となっていて、何かものすごくコーヒー農家が虐げられているかのような印象をかもし出しているけれど、こうした比較のやり方はかなり問題がある。なぜか。


それは、カフェで提供されている「トールサイズのコーヒー1杯\330」には、コーヒーの豆代だけではなく、カフェの人件費・光熱費・機械代・設備費・建物費・土地代なども含まれているからである。というより、コーヒーの豆代はわずかでしかなく、大半はカフェの人件費・光熱費・機械代・設備費・建物費のほうだと考えて良い。こうしたものをいろいろとすべて含んでいるから、1杯\330になるのである。


寿司屋を例にとって考えると、このような比較のおかしさがわかる。寿司屋で1人前を食べて10000円かかったとする。いまどき東京のちょっと良い寿司屋で食べるとこれぐらいかかったりするけれど、原価(シャリ代、ネタ代、お茶代、しょうゆ代など、胃袋に入るもの)はおそくら3割〜4割、つまり3000円〜4000円ぐらいだろう。けれどもこれは、寿司屋の仕入価格であって、寿司屋が仕入れるまでの流通過程のなかで値段が跳ね上がった結果として3000円〜4000円になったのである。では、これらが流通過程に乗る最初の価格はいくらか。もっとも値段がかさんでいるはずのネタに限定してしまうと、流通過程の最初、すなわち漁師さんたちが魚を卸す際の価格は、寿司ネタ一人前あたりで言うと、おそらくせいぜい数百円だろう。そしてこの数百円が、寿司屋で10000円に跳ね上がったからといって、ここに不公正(unfair)な取引(trade)があるだとか、漁師さんのためにフェア・トレードを、などという言明が成り立つはずがないことは明らかだ。ところが、この映画(のHP)では、こういう対比をやっているのである。


結論を言うと、カフェのコーヒーの価格と、コーヒー農家の売却価格を比較することにはあまり意味がない、ということだ。なぜなら、カフェで提供されるコーヒーの価格の原価の大半は、コーヒー豆ではなく、カフェの人件費・光熱費・機械代・設備費・建物費・土地代などが占めているからであり、このような傾向はどのような飲食店でも、多かれ少なかれ見られることだからだ。比較すべきは、「カフェのコーヒーの価格と、コーヒー農家の売却価格」ではない。そうではなくて、「スーパーで消費者が購入するレギュラーまたはインスタントコーヒーの価格と、それに必要なコーヒー豆をコーヒー農家の売却するときの価格」を比較するのが適切なのである。


また、http://www.uplink.co.jp/oishiicoffee/about_03.php も不正確である。「現在世界で栽培されているコーヒーの75%〜80%はアラビカ種、20%はロブスタ種である 」とあるが、これは間違い。ロブスタ種は4割程度を占めている。このロブスタ種の比率がもっと高いことがわからないと、コーヒーをめぐる問題の正確な理解はおぼつかない。


さらに、ICOを詳しく掘り下げているわけではないし、何よりコーヒー価格の低迷を引き起こした重要な要因についても触れていない。先進国の農業保護によって途上国の農民がいかに価格競争に負け、困っているかというシーンも出てくるけれど、先進国でコーヒーを生産できる国は存在しない。つまり補助金でコーヒーの生産を支援している先進国などないのだから、少なくともコーヒーに関しては、先進国の農業保護が途上国の農民を苦しめている、などという言明も成り立たない。端的に言ってミスリードである。この映画は、コーヒーのグローバルな流通と生産にまつわる問題を取りたものではなく、せいぜいのところ、エチオピアスペシャルティコーヒーの生産と流通を取り上げたに過ぎない。おまけに映画のなかでの説明と映像は断片的なので、この映画でコーヒーの「真実」を理解することは、むつかしいのではないか。


それはそうと、この映画、観客がわずか3人だったのだが、映画館の経営は大丈夫か。



(追記)なんだか寿司が食いたくなってきた。