北海道トムラウシ山での遭難事故に思う(1)

北海道トムラウシ山での遭難事故では、なぜ8人もの死者が出たのだろうか。その原因をさぐるNHKクローズアップ現代・「“夏山の惨事”はなぜ起きた」を見た。


感想を一言で言うと、「これは、死んで当然だな」である。


番組は、生存者のうち4名へのインタビューをもとに、当時の登山道の状況をわかりやすく説明していた。これによると、当時の登山道では、大雨で増水した沼から溢れた水のせいで、登山道が川になっていた(ここでまず下半身が濡れ、体力を消耗する)、そしてその「川」を渡ったら今度は、急峻な岩場なのだが、そこが大雨のせいで「滝」のようになっており、その「滝」をずぶぬれになりながら登っていた、などである。


そして遭難当日、気温は4〜5度、風速は最大で25メートル超という、台風並の強さであった。


気温が4〜5度というのは、本州の平地の冬の気温である。コートなどを着ているはずの寒さである。この寒い中、ずぶぬれになって風速25メートルもの風にあたっていたら気化熱で体温を奪われ、凍えて当然である。しかも高山地帯だから、木は生えておらず、したがって風を遮るものはない。ついでに言うと遭難当日は、登山3日目ということで、疲労で体力も低下していたはずである。これで死なないほうがおかしい。


と思うのは、わたしは今回のトムラウシ山遭難事故よりはモデレートながら、類似した状況で登山をした経験があるからだ。


今から19年前の平成2年(1990年)8月、わたしは秋田県田沢湖畔の乳頭温泉郷から、秋田・岩手県境にある烏帽子岳(乳頭山)への山道を登り、そして岩手県滝ノ上温泉へ下山していた。


じつはこの時、台風11号が東北地方を直撃していた最中だった。それでも、乳頭温泉郷から烏帽子岳への上りルートは、さほどの雨ではなかった。この台風、太平洋側を抜けていたから、上りルートだった秋田県側では、たいした雨ではなかったのである。


天候が一変したのは烏帽子岳からの下山道だった。台風側の岩手県に入ると、風・雨ともに急に強くなった。


もっとも閉口したのは、大雨のせいで、登山道には泥水が滝のように流れており、そこを脹脛まで水に浸かって歩くハメになったことである。山道には、大小さまざまな岩や石がある。それなのに濁流は泥水だから、その岩や石が、よく見えなかったりする。何度もバランスを崩し、転びそうになりながら、見えない「道」を必死に歩いた。


乳頭山の登山道が瓦礫だらけであることは、この写真を見ればわかる。この瓦礫だらけの登山道に、泥水が滝のように流れている中を下ることを、想像してみて欲しい。しかも強風である。8月なのにやたら寒かった。ほとんど何も考えられず、たた「早く帰宅して、死ぬほど熱い風呂に浸かりたい」とだけ思っていた。


この登山、高校の山岳部の夏合宿だったのだが、今思うに、同行していた山岳部の顧問も、かなりやきもきしていたのではないかと思う。それでも合宿二日目、しかも前日は移動日だったから実質的な登山としては初日だったいうこともあって、体力を温存していた若者の一行は、時間をかけながらも、特に怪我もなく、無事に下山し切った。


烏帽子岳は標高1498メートルの山である。この程度の標高でさえ、北東北でさえ、風雨が強くずぶぬれになると、かなり寒く感じた。翻ってトムラウシ山はといえば、標高が2000メートルを越える、しかも北海道の山である。また私が烏帽子岳で経験した濁流の登山道は下りだったから、頭から水をかぶることはなかった。しかしトムラウシでは、濁流を上っていたようだから、頭から水をかぶった可能性がある。これらの彼我の差は、いかにも大きい。しかも今回のトムラウシ山の遭難事故の場合、登山3日目で体力が低下していたであろうことも、不利に作用したと思われる。*1