抜き書き(貿易論)

「外国貿易の必然性」から引き出される系論は何かといえば、それは生産資本の循環から生ずる国際分業の形成に他ならない。個別資本の絶えざる生産資本としての循環は、資本の存続を条件作る新たな国際分業を創出する。原料基地と製品販売市場の存在は近代産業資本にとって一つの制約であるが、それは世界市場における競争や恐慌によって不断に突破されなければならない制約である。こうした資本主義国際分業の創出は、マルクスによって示されていたが、従来は明瞭に外国貿易論の議論の中に組み込まれてはいなかったと言えよう。むしろ、国際価値論の論理のなかで国際分業が形成されるという、価値論的次元で取り上げられてきた。もっと直截に別の言い方をすれば言えば(ママ)、「比較生産費説」によって国際分業が形成されるとされた。しかし、資本主義以前にも有無相通ずるような自然発生的国際分業は存在していたのである。一国もしくは多数国が孤立して存在し、商品取引が開始されることによって、初めてそこに国際分業が発生するわけではない。自然発生的国際分業が資本主義国の指導性によって強制的に作り替えられ、資本主義国の生産資本循環を支障なく進めるようにに(ママ)新たな国際分業が創出されるのである。

吉信肅(2006)「貿易理論における若干の未解決問題の解明に寄せて:商学部貿易論担当40年の回顧」『關西大學商學論集』51(1/2/3)、p.300より。

国民経済単位間にある構造の相違(技術や要素賦存)は貿易を規定する要因であるが、生産工程の国際的分散化を促進する要因ではない。言い換えれば、国民経済間の相違は潜在的な貿易構造を規定する要因であり、実際の貿易構造の変化を引き起こすのは企業行動である。

石田修(2010)「国際貿易の構造と基礎理論」石田修他編『現代世界経済をとらえるVer.5』、pp.84-85より。