抜き書き(学問、世界)

多くの学問分野は、何らかの矛盾の上に成り立っていますが、そこが盲点となって隠蔽されつつ共有されることで、分野が成立しています。それゆえ「専門家」は「専門用語」を必要とするのです。そうすることで「専門外」の人々を排除して、「盲点」が露呈しないようにするためです。かくして「専門家」は、全く頼りにならない、利権を漁る集団と化します。

安冨歩原発危機と「東大話法」』、13ページ。

大澤 僕は経済学については素人ですけれども、経済学に限らず、しばしば見られることとして、専門家の複雑すぎる説明よりも、素人のプリミティブな直感のほうが当たる、ということがあるんじゃないかと思うことがあります。原発だってそうですよね。原発が、何かとてつもなく危険に過ぎるという直感は、素人にはあった。「安全」だということを信じ込ませたのは、素人の勝手な判断ではなく、専門家の説明だった、ということを忘れるべきではない。同じことは、経済についても、よりいっそう言えると思います。サブプライムローン関連の金融商品だって、素人からすると、あまりにもリスクが大きいのですが、金融工学の専門家からするとずっと安全なものに見えていたわけです。
水野 そうだと思いますよ。3・11の東京電力福島第一原子力発電所事故の後、とくに「原子力関係の専門家」と称する人たちがテレビで自説を述べていましたが、見ているほうからすると、専門家が言っていることがいちばん怪しいんじゃないかと思えてなりません。

水野和夫・大澤真幸『資本主義という謎』、213-214ページ。

私が本章で提案しようと思っている答えは、世の中がおかしいのは、
「世界が発狂しているから」
だ、というものです。

安冨歩『幻影からの脱出』、169ページ。

つまり、経済だけが病んでいるのではなく、病んでいるのは世界の精神だということです。

水野和夫・大澤真幸『資本主義という謎』、308-309ページ。