今日、学者のかなりが「専門職の『囚人』」となっている。
仕事や作業が細分化された今日において、私たちが作業者として行為するとき、私たちは全体のプロセスのなかの一断片に集中するように断罪されている。つまり、全体の機構を想像することからは、監獄に閉じ込められた囚人のように、完全に閉め出されているのである。
彼らは幾重もの壁によって最終的結果から隔てられ、自分の専門職の「囚人」であり続けた。
松岡周吾「『われらはみな、アイヒマンの息子』, ギュンター・アンダース」
http://www.shugomatsuoka.com/archives/1740