出版社のPR誌

最近、出版社のPR誌が気になっている。PR誌といっても何のことか分からない人もいるかもしれにないが、有斐閣の『書斎の窓』、講談社の『本』、岩波の『図書』、未来社の『未来』、藤原書店の『機』、創文社の『創文』などの、主に出版社からの発行書籍のPRを主たる目的とした小さな月刊誌のことである。

小さな雑誌だから、もちろん学術論文など載っていない(ただ創文社の『創文』はやや例外的に、論文に近いものも載る)。エッセー、評論、学術動向、それに往復書簡や論争などである。だがこれが馬鹿にできない。執筆陣は豪華。またいろいろな分野の執筆者が寄り集まっているので、コンパクトながら他の分野の動向を窺い知ることができる。その発行社から最近刊行された本の著者が、何を意図してその本を上梓したのかのエッセーなども多い。さらに有斐閣の『書斎の窓』などは、最近の著名な学術雑誌の目次まで紹介してくれている。こんな便利な雑誌はめったにない。しかもこれが、おおむね月額80〜100円、年間購読料は1000円前後(送料込み)だというから、内容に比べて驚くべき安さだと言わねばならない。論壇誌もよいが、こういうコンパクトなPR誌から、隣接分野を横目で睨むのもよい。

講談社PR誌『本』2月号には、『国際テロネットワーク』を上梓した竹田氏のエッセーがある。テロリストを志願する若者は社会的に最底辺の貧困層からリクルートされるのではないという竹田氏の指摘は、目新しいものではない。だが日本の左翼の経済学者のなかには、いまだに、貧困こそがテロの温床だなどという通俗的な議論を行なう者がびっくりするほど多い。イスラームテロと貧困との間に、直接的な関係性を見出すことはできない。このことを経済学者はよく自覚する必要がある。
http://shop.kodansha.jp/bc/magazines/hon/0602/index02.html

山下氏のエッセー。http://shop.kodansha.jp/bc/magazines/hon/0602/index03.html

旧世代にあっては、帝国という言葉は、本質的に、討議を開くためというよりは、討議を閉じるために用いられていたと私は思う。というのもそこでは、多かれ少なかれ、帝国という言葉が、克服や打倒の対象、そこからの解放や自立がめざされるべきものとして定義されており、したがってもっと端的にいえば、政治的な正統性の欠損状態に貼られるラベルにほかならなかったからである。つまり、ある対象を「帝国」だと断ずることは、すなわちその対象が「悪」であるという結論のQ.E.D.(証明終わり)であった。

まったくもってそのとおり。いまようやく、論難するためのラベリングとしてではなく、冷静に帝国を論じうる時代にになっている。だが若手であっても、いまだに「旧世代」に属し「アメリカ帝国主義」を論難する者も少なくない(笑)。合掌。