メモ(中近東農業とエジプト農業)

○農耕が最も早く開始された(と考えられる)のは中近東。チグリス・ユーフラテス河の沖積平野では、水の確保の必要性と洪水の危険性が同居していた。ゆえに、灌漑農業が発達。水の制御に成功した集落が、農業生産の余剰を集積し、都市国家が形成されたと考えられる。また、水の制御には多くの労働力が必要だった(中西聡「東西文明の興隆」金井雄一・中西聡・福澤直樹編『世界経済の歴史』名古屋大学出版会、より要約)。


○ナイル河流域では、天水農耕は不可能。だが、ナイル河は定期的に増水し、有機質に富んだ沃土が運ばれるので、次の増水期までに農耕生産がなされた(主に冬季の小麦)。この地域では、増水を、水路を通じて広範囲に流し込む、独特の貯留式灌漑農法が発達。ただし水路の開削には、多くの労働力が必要だった(中西聡「東西文明の興隆」金井雄一・中西聡・福澤直樹編『世界経済の歴史』名古屋大学出版会、より要約)。
→参考:中島健一『灌漑農法と社会=政治体制』校倉書房、では、エジプト・ナイル河流域における農耕、氾濫水位とその制御などが論じられている(ウィットフォーゲルやタイの稲作・灌漑についても論じられている)。