メモ(インド農業)

○1909-13年、インドはアルゼンチンとともに、世界の小麦輸出国の一角(杉原薫「アルゼンチン」入江節次郎『帝国主義同文館、より要約)。


○イギリスは19世紀後半に、インドの小麦開発に注力。灌漑施設の拡充、鉄道建設による小麦地帯と港湾都市との輸送の確保により、輸出用小麦栽培が促進された。北西インドや南インドの乾燥地帯で灌漑施設が新設されることで、雑穀類は給水可能地から駆逐された(牧野博「インド」入江節次郎『帝国主義同文館、より要約)。


○紀元前1800年頃、インダス文明が衰退。同時期に、中央ユーラシアからアーリヤ人が南下して、インダス川流域に、牧畜を主とし、農耕を従とする生活を開始。アーリヤ人は、牛が重要な財産で、蛋白源や運搬用として活用。彼らの遊牧文化と、先住民の農耕文化との接触・混交により、ガンジス川流域へ文明が拡大。ガンジス川流域は森林に覆われていたが、紀元前800年ごろまでには鉄器の使用が始まり、鉄製農具の使用により、森林が次々と開拓された。さらに鉄製の犂を牛に引かせる農法が発達(中西聡「東西文明の興隆」金井雄一・中西聡・福澤直樹編『世界経済の歴史』名古屋大学出版会、より要約)。