メモ(タイ、チャオプラヤーデルタ農業)

○外向きで開かれた農村社会(1):チャオプラヤーデルタは、人類史での最後の大未利用地だった。19世紀以降、輸出米生産の適地として急速に開拓された。そこでは第1に、河川氾濫水を利用して稲作が行なわれていたので、水の利用を契機とした村のまとまりが発達していない。第2に、海外米市場の拡大に刺激されて開田・開拓された新開地であったため、人口密度が低く、誰も使っていない土地が存在し続けた。開拓空間的生活様式が形成された。第3に、外部の人間を容易に受け入れてきた。第4に、所得格差が大きくなることはなかった。誰でも農地の利用が可能であり、農地所有規模の格差に起因する固定的な所得格差が形成されにくかった(原洋之介『開発経済論』第2版、岩波書店、第6章より要約)。

→参考:
中島健一『灌漑農法と社会=政治体制』校倉書房(タイの稲作・灌漑についても論じられている)。
石井米雄『タイ国:ひとつの稲作社会」創文社
・宮田敏之「戦前期タイ米経済の発展」加納啓良責任編集『植民地経済の繁栄と凋落』(岩波講座東南アジア史 第6巻)岩波書店