読了

グローバル化と反グローバル化

グローバル化と反グローバル化

訳者の労を認めないつもりはない。しかし明らかにヘンな訳が、随所に見られる。一番気に食わないのは、decision-makingを「決定作成」と訳している箇所である(p.80,98,130)。わたしは政治学が専門ではないからよく知らないが、decision-makingというのは普通、「意思決定」と訳すべきだろう。しかも、わけがわからないのは、同じdecision-makingを「意思決定」と訳している箇所もあることである(p.131)。なぜこのようなことが起こるのだろうか。

ここでわたしのような、グローバリゼーション・スタディーズを専門とする者が思い起こすのは、ミッテルマンの『グローバル化シンドローム』の邦訳である(isbn:4588675052)。人名・国名の誤訳と誤表記を随所に交えた、異様に読みにくい訳文が続くこの本でも、decision-makingが「決定作成」と訳されている(p.37,165,168)。そして、案の定と言うべきか、この本の訳者のうちの2名が、『グローバル化と反グローバル化』の訳者なのである。嗚呼。


話を元に戻す。
ジョセフ・ナイのSoft Power、Hard Powerを、それぞれ「ソフトな権力」「ハードな権力」と訳しているのも理解できない(pp.96-97,105)。たしかに直訳ではそのとおりだし、間違っているとは言い切れないかもしれない。しかし両者は「ソフト・パワー」「ハード・パワー」で日本語化されているし、『ソフト・パワー』で本のタイトルにもなっている(isbn:4532164753)。いまどき、わざわざ「ソフトな権力」「ハードな権力」と表記する理由が理解できない。


さらにUNDPのHuman Develpomentを「人的発展」としているが(p.113)、これも、「人間開発」とするのが開発論・開発経済学の基本である。訳者は、UNDPが毎年発行してる『人間開発報告書』(Human Development Report)を知らないのだろうか。


それから、failed statesを「挫折国家」としているが(p.117)、これも、最近は「破綻国家」または「失敗国家」と訳すべきだと思う(ただし、これは、好みの範囲内として許容しうるであろうが)。


誤植:122ページ。CrasnerはKrasnerの間違い。


あと、stetesやgovermentsを、「諸政府」「諸国家」と訳しているが、複数形を意識して「諸」を付ける必要があるとは思えないし、訳文をいたずらに読みにくいものにしているだけである。



内容について少しコメントしておく。本書はglobalization debateを概括的に整理することが中心であり、ヘルドの『グローバル化とは何か』(isbn:4589025965)の延長のような本である。ただ、第八章でグローバリゼーションの論者を、これまでの整理とは異なり、新自由主義派・リベラル国際主義派・制度改革派・グローバル変容主義派・国家中心主義/保護主義派・ラディカル派の6つに分けたのが目新しい。これが本書の価値であろう。