夭折の研究者

最近、20代後半とか30代前半という非常に若い年齢で亡くなる研究者がチラホラと目に付く。しかも、皆さん、博士号を取得されてまもなく、なくなっているのである。死因のなかには、持病だったのかなぁと思わせるものもあるが、急に力が抜けてあちらに逝ってしまったように思わせる方もいる。なんだか気になるので少し整理しておきたい。

日本学術振興会特別研究員(PD)、オーストラリア国立大学・人文学研究所(Humanities Research Centre) 客員研究員。主要著書、『ラディカル・オーラル・ヒストリー』(御茶ノ水書房、2004年)は博士論文をもとにしたもの。死因:悪性リンパ種。
http://www.hokariminoru.org/j/index-j.html


  • 戸矢哲朗(1972-2001)

1995年東京大学法学部卒業、大蔵省入省。1997〜2000年までスタンフォード大学大学院政治学部に留学し、Ph.D取得。2000年に大蔵省に復職し、経済産業研究所客員研究員(兼務)となる。著書『金融ビッグバンの政治経済学』(東洋経済新報社)は、博士論文。死因:白血病


  • 今村有里子(1968-2002)

1997年一橋大学助手、98年沖縄国際大学専任講師、99年同助教授、2000年東洋大学専任講師、2002年東洋大学助教授。2002年3月、「アジア諸国の株式市場―グローバル化と国際間連動性―」で一橋大学博士(商学)学位取得。同年6月、耳下腺炎による敗血症のため急逝。




つまりアレだ、要するに言いたいのはどんなに頑張って華麗なキャリアや成果を積み重ねても若くして死んじゃったらダメだということだ。若くして華麗なデビューを遂げてあっさりと散るのと研究成果を積み重ねるのに悶々と苦労して生きるのとどっちがいいかといえばやはり後者だと思う。え、お前はどうせ死なないからもっと死ぬ気で頑張ったほうがいい?ああそうですかそれはどうも失礼しました。



(追記:2006/3/18)

1994年東京大学法学部卒、1998年ヨーク大学女性学研究センター修士課程修了、2001年東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了、博士(法学)、2002年跡見学園女子大学マネジメント学部専任講師。主要著書、『戦後日本の女性政策』(勁草書房、2002年)は博士論文をもとにしたもの。死因:癌。
http://homepage3.nifty.com/esperanza/profile.htm