アカデック・ジャーナリスト:ビル・エモットとファリード・ザカリア

欧米には、アカデミック・ジャーナリストと呼ばれる人がいる。アカデミックな議論に精通しつつも、研究者としてではなく、ジャーナリストとして仕事をしたり著作をものしたりする人である。もっとも研究者とジャーナリストは必ずしも明確に峻別されるものではなく、アカデミック・ジャーナリストが大学で教鞭をとることも多々あるが、しかし生涯にわたる主たる仕事にはならない。


ビル・エモットとファリード・ザカリアは、ともに、アカデミック・ジャーナリストと呼ばれるべき人だと思う。驚くのは二人がきわめて若いうちから重要な仕事を成してきたという事実だ。


10年余にわたって、『エコノミスト』の編集長を務めてきたビル・エモットは、1956年生まれ。大学卒業後、80年に「エコノミスト」に入社しているが、3年後の83年に東京支局長になっている。まあそんなに大人数の部下を抱えていたとは思えないが、しかし、わずか26歳か27歳で支局長というのは、日本人の感覚からすると、ありえない。さらに、『日はまた沈む』を上梓したのは1990年だから、33歳か34歳のことである。編集長になったのは93年だから、これは、36歳か37歳のときである。

もうひとりのファリード・ザカリアは、政治学のPh. D. ホルダーで、2000年から「ニューズウィーク」で仕事をしているが、それまでは外交問題評議会の『フォーリン・アフェアーズ』(FA)の編集長を務めていた。彼がFAの編集長になった年は1992年なのだが、彼の生年はといえば、1964年である。だから、わずか27歳か28歳で、著名国際誌の編集長になっていたわけである。こういう大役を若くして任される彼らも凄いが、並み居る年長の経験者を退けて彼らを抜擢して任せるほうも凄いと思う。

いったい誰が、エモットやザカリアを抜擢したのだろうか?