インターネット利用の10年

自分がインターネットを使い始めたのは1996年3月なので、2006年3月は利用10年という節目の時期である。多くの人と同じように、Windows95が発売される以前には、パソコンに触れたことさえほとんどなかったのだがが、一大決心をしてパソコンを購入したのが1996年2月、ニフティーサーブに加入して、ネットユーザーになったのは96年3月だった。今にして振り返ると、ネットが爆発的に拡大する時代を、若い時に、(ほぼ)最初から、何の抵抗感もなく観察できたことは、本当によかった。物心ついたときにはネットが最初からあった若い世代にとっては、以下のような当時のエピソードは、ひょっとすると信じ難いかもしれない。以下のエピソードを「懐かしい!」と思える人は、おそらく1975年以前の生まれ、すなわち現在30歳以上の人だろう。


ブラウザネットスケープが主流。自分が使っていたインターネットエクスプローラーバージョンは、1.0。テキストがメイン。動画はもちろん、フラッシュ画像などもなかった。

接続環境:ダイヤルアップモデム。28.8kbpsが主流だったが、14.4kbpsの人も多かったはず。また、23時以降の深夜に、テレホーダイで繋ぎっぱなしにすることが多かった。23時以降に接続しようとすると、回線がビジーになっていて繋げないので、22時50分ぐらいから接続するという涙ぐましい努力をする人も多かった。また、テレホーダイで夜中にネットをするため、寝不足になるという、「ネット中毒者」が問題になった。ブロバイダーが爆発的に増えたのはよいが、回線がつながりにくいプロバイダーや、バックボーン回線が細く、データのダウンロードの遅いブロバイダーも多く、より早い環境を求めてプロバイダーを乗り換える人も多かった。

メールの相手:一般人でメールアドレスを持っている人はほとんどいなかった。自分は当時は、大学生だったが、クラスにはメールアドレスを持っている人は誰もいなかった。唯一のメール相手は大学の学科の後輩ひとりのみ。

メールチェックの頻度:1日に1回。数日に1回という人も多かったはず。名刺などに、メールアドレスが入っていると、「先端的」という感じだった。

サーチエンジン:当時は、「千里眼」など、個人や大学が試験的に作成したものがメインだった。Odin(http://odin.ingrid.org)という通好みの渋いサーチエンジンもあった。あの頃はグーグルはもちろん、ライコスもエキサイトもなかった。ヤフーでさえ、アメリカにはあったが、日本にはなかった。ヤフージャパンがサービスを開始したのは1996年4月である。http://10thann.yahoo.co.jp/ インフォシークジャパンのURLは、http://japan.infoseek.comだった(自分は当時の癖で、いまでもこのURLを直打ちすることがある)。

ドメイン:企業や公共機関の名前のドメインネームを取得する個人がいた時代(これは後にトラブルになったりもした)。http://www.ntt.co.jpは、NTTの公式のページでもなんでもなく、NTTの社員の有志数名が立ち上げていた!ページで、では会社側はというと、確かhttp://www.ntt.jpとかなんとか、別の名前でwebサイトを立ち上げることを余儀なくされていたはずである。後に会社側と、http://www.ntt.co.jpを立ち上げた社員有志の間で話がまとまり、http://www.ntt.co.jpは社員有志グループから法人としてのNTTのものになった、という経緯を辿ったはずである。