西川潤教授年譜

「西川潤教授年譜」(『アジア太平洋討究』 No. 9 (March 2007))

面白い年譜である。

西川潤はフランスに留学経験があるので、てっきり彼はフランスに開発経済学を学びに行ったのだと思っていた。だが実は経済史・経済思想・学説史を学びに行っていたのだった(そのため、早稲田でも長く「経済学史」の担当だった)。

そのフランスから、週刊エコノミストのアルバイトで独立直後のアフリカに渡ってルポを書き、これで歴史研究から南北問題へと関心をシフトさせたこと。早稲田の助手試験を受けるためのフランスからの帰国の飛行機が遅れ、試験を受けられず、ようやく翌年の試験で合格できたこと。フランスから日本への帰国後すぐに、チリのアジェンデ、キューバカストロ、韓国の金大中北朝鮮金日成と会見し、ルポをものにしたこと(いまどきの学者にはなかなかないフットワーク!)。
南北問題の著作の読者カードの多くが女性からのものであることから、南北問題と男女問題に通い合うものがあることに気づき、フェミニズムにも関心を持つようになったこと。鶴見俊輔との交流のなかから、鶴見和子との知遇を得て、内発的発展論に目覚め、アジア各地でその調査を行なってきただけではなく、内発的発展論のコンセプトを大学行政でも実践するまでになったこと。

KCIAに睨まれて長らく韓国訪問のビザが下りなかったこと。政府の審議会が、「能面をつけた政官業体制の代弁者たちの儀式」であると知ったこと。日本平和学会と国際開発学会という二つの学会の設立に参加したこと。フィリピンでたまたま目の当たりにした飢餓から、日本ネグロスキャンペーンの結成に加わったこと。ガンにより舌根を切除して、そこに前腕の筋肉を移植する大手術を受けたこと(なので、西川の発音は少し不明瞭になった)、などなど。世の中に行動する学者というのは少なくはないが、なおかつこれだけ多くの業績をものし、人材を育てた学者は少ないと言える。