小林良江「従属論と世界システム論」について

国際関係理論 (勁草テキスト・セレクション)

国際関係理論 (勁草テキスト・セレクション)

吉川直人・野口和彦編『国際関係理論』(勁草書房、2005年)から、第7章の小林良江「従属論と世界システム論」を読んでみたが、かなり「ひっかかり」のある章だった。幾つか指摘しておきたい。


一つ目。220ページ。

この自由貿易体制は第二次世界大戦後、自由で多角的な貿易により各国が経済的疲弊から復興し、経済成長することを目的にして制定された。その基本的な理論となったのが近代化理論である。この近代化理論の基礎は19世紀から20世紀にかけて発表された社会学理論である。

ちょっと待って欲しい。自由貿易体制のベースが、はたして近代化理論だろうか。自由貿易という考え方は、近代化理論はおろか、「19世紀から20世紀にかけて発表された社会学理論」の以前から存在するので、まったく違うと思う。


二つ目。222〜223ページ。

これは各国が相対的に安い生産費で生産できる比較的優位な商品に特化し、その商品を輸出し合うことで分業の利益を得ることができるというアダム・スミスリカードといった古典的経済学者が提唱する国際分業論(international division of labor theory)に従い、比較的優位に立てる商品生産への特化を推し進める経済政策であった。(中略)1929年当時、アルゼンチン大蔵次官の職にあったプレビッシュは国際的に比較的優位と思われていた限定された作物しか栽培しないモノカルチャア経済がもたらした大きな問題に直面した。

酷い。酷すぎる。学部生でも突っ込める間違いがある。まず、「比較的優位」という意味不明の言葉が3回も出てくるので、頭を抱えてしまう。著者が比較優位という経済学の基本概念を全く理解していないことは、明らかである。次に、比較優位の商品を輸出し合うことで分業の利益を得ることができるということを、アダム・スミスが論じたというのもヘンである。スミスが提唱したのは絶対優位であって、比較優位とは違う。さらに言うと、古典的経済学者とはいったい何か。古典派経済学者のことか。著者は「古典派経済学」という概念を知らないのだろう。


三つ目。234ページ。

1973年国連資源特別総会において、「新国際経済秩序(New International Economic Order: NIEO)樹立に関する宣言」が採択された。経済自立、国際分業体制の変革がこの新国際経済秩序の中心的主張となり、西インド諸島出身の経済学者ルイスの著書『国際経済秩序の発展』などがNIEOの理論的確立に大きな役割を担った。

これも酷い。まず、1973年国連資源特別総会において、「新国際経済秩序(New International Economic Order: NIEO)樹立に関する宣言」が採択された、などという事実はない。NIEO樹立宣言は1973年ではなく、1974年が正しい。次に、NIEOの確立にルイスが大きな役割を果たしたというのもヘンである。そもそもルイスの著書、The Evolution of the International Economic Orderが刊行されたのは1978年である。刊行前の1974年にどうして理論的貢献を果たせるのか。


四つ目。238ページ。

これに対して、ウォーラーステインの「世界システム論」では、資本主義世界経済システムは中核(core)-準周辺(semi-periphery)-周辺(periphery)地域という垂直的な分業関係にある3層構造をもつものととらえられている。

単なる訳語の問題であるが、日本では、世界システム論のsemi-peripheryという概念については「準周辺」ではなく「半周辺」という訳語を当てることが定着、一般化していると考える。


五つ目。241ページ。

国を分析単位とする既存の国際経済学では、先進諸国との関係が希薄な国々を理論的分析枠組みから排除しがちであるが、世界システム論の視点を用いれば、周辺地域を多国籍企業の原材料供給基地とみなし、企業内国際分業に組み込まれた経済アクターとして分析できる。

国際経済学が、「先進諸国との関係が希薄な国々を理論的分析枠組みから排除しがち」ということはないと思う。また「周辺地域を多国籍企業の原材料供給基地とみなし、企業内国際分業に組み込まれた経済アクターとして分析」するのも、日本の国際経済学者によってなされている。


これらの例からすると、この著者は、国際経済論、従属論、開発経済論、国際政治経済論などについての基本的な知識にあやふやなところがあると言わざるを得ないだろう。こんな章を収めた本書は、2005年の刊行以来、5刷だという。どれだけ多くの若者が、間違った知識を刷り込まれているのだろう。勘弁して欲しい。


どうも最近の勁草書房の「勁草テキスト・セレクション」シリーズには、いい加減な書が多すぎて困る(たとえば学者の書いたテキストでこれ以上間違いが頻出する書籍はまずないだろうというぐらいミスのオンパレードの『国際開発学入門』とか、汚染逃避地仮説(pollution haven hypothesis)とすべきを汚染天国仮説とした『経済開発論』など)。著者・執筆者も悪いが、版元の責任も大きい。いい加減にして欲しい。


世界的な国際政治学者のジョン・ミアシャイマー教授にも一言申し上げたい。あなたは本書『国際関係理論』の「はしがき」を書いており、そのなかで本書を絶賛しているが、本書の各章の原稿をちゃんと読んだのか。読んだのなら、第7章の間違いに気づかなかったのか。それとも日本語だから読まなかったのか。読まずに絶賛したのか。


なお、著者の小林良江氏は、群馬県立女子大学教授。主著はA Path Toward Gender Equality: State Feminism in Japanである。アマゾンによると、本書の内容は「This dissertation is the first study of state feminism in a non-western nation state, focusing on the activities and roles of the Women's Bureau of the Ministry of Labor in post-World War II Japan.」とのことである。旧労働省婦人局に焦点をあてた研究のようである。