2009年の年賀状を考える、年賀状で考える

06年08年に続く、「年賀状を考える」シリーズの第三弾である。

09年の年賀状の到着状況。
1日:33枚
2日:15枚
3日:7枚
4日:11枚
5日:8枚
6日:1枚
7日:4枚
8日:7枚
9日:1枚
10日:3枚
13日:1枚
20日:1枚
(他、職場宛に到着日不明のものが1枚)



年末年始は、社会関係資本ソーシャル・キャピタル)の勉強を少ししていた。それで気づいたことなのだが、何と言うか、年賀状の送り方によって、その人の社会関係資本の質と量を計測できるのではないか、という気がしてならない。


年賀状というものは、普段日常的に会う人ばかりとやり取りするものではない。むしろ普段会わない人とのやり取りのほうが、多いぐらいである。年賀状のおかげで相手の住所変更やメルアド変更などがわかって、住所録のメンテナンスがなされることも少なくない。逆に言えば、年賀状をこちらから送っているにもかかわらず、向こうからの年賀状がない状態が2〜3年続くと、そのうち年賀状が宛先不明で戻ってきたり、何か用事が発生してメールを打っても「Returned mail: see transcript for details」で、結局音信不通になってしまう、ということが少なくない。


逆に毎年年賀状をきちんと(つまり1月1日に)送ってくる人は、要はweak tiesのメンテナンスがしっかりしている人である。こういう人は、いわゆる「ホウレンソウ」がしっかりしていたり、何か依頼をしてもすぐレスポンスがある、ということが多い。また、仕事を進める上でも広い人的ネットワークを公私にわたって活用している例が多い。


さて、この両者の中間に、「年によって、年賀状を送ってきたかと思えば、送ってこなかったりと、まちまちな人」「到着時期が早かったり遅かったりと、波がある人」というのがいる。こういう人はどう解釈すべきか。むかしは、「たまたま忙しかったので遅れたり、逆に時間的な余裕があって早くなったりしたのかな」と思っていたのだが、どうもそうではなくて、こういう人は軽重はともかく鬱をわずらっていらっしゃる可能性が高いのではないか、と考えるようになった。つまり調子が良い時は年賀状を送ってくる(または早く送ってくる)のだが、調子が悪いと億劫になって送れない(または送るのが遅れる)、ということであるように思われる。これは自分の単なるあてずっぽうの推察ではない。そうではなくて、鬱の経験者で「前年は鬱で送れなかった(が、その後良くなったので、今年は送れた)」という人を何人か見聞きしたことや、その人の普段のパーソナリティー、それ以前のビヘイビアやメールのやり取りなどをも総合的に考えた結果、このように思い至るようになったのである。鬱のなかには双極性障害といって、躁鬱を繰り返すものもある。してみると、年賀状一枚で相手がどのような状態にあるのかさえ、わかるのかもしれない。もとより仮説であるから、明年以降も引き続き検証してみたい。