「年賀状」を考える

今年も皆さんから年賀状を頂戴した。だいたい出揃ったと思う。以下は、何日に何枚の年賀状が手元に届いたかの数字である。

1日:29枚
2日:5枚
3日:6枚
4日:20枚
5日:10枚
6日:12枚
10日:5枚
13日:1枚
(他、職場宛に、到着日不明のものが数枚)

今年は早めに打ち止めとなった。一昨年ぐらいまでは、1月15日、20日頃になってようやく届く年賀状もあったので。地域によって微妙だが、2日に届いたものまでは、年内に投函されたものとみてよいだろう。3日以降の到着分は、年が明けてから投函されている可能性が高い。

まず数字を見て気づくことは、1日に到着する比率が低いということだ。全体の三分の一程度である。自分が子どもの頃、父親宛には150-200枚の年賀状が届いていたように記憶しているが、1日に7割程度は届いていて、4日以降に届いたものは、ほんの数枚だった(当時、郵便受けを毎日チェックするのは自分の仕事だったので、わかる)。それと比べると、自分宛の年賀状は、なんとも全般的に届くのが遅い。なにせ4日以降に届くものが、5割以上を占めているのである。

これには理由がないわけではない。自分の場合、年長者に送る賀状が多い。そして年長者は、往々にして、こちらからの賀状を受け取った上で送ってくださるという方が多いのである。4日以降に届いたものにはこういうものもある。しかし、すべてがそうではない。

これは一般論なので例外があろうと思うが(年末に病気をした、引越をしたなど)、概して、仕事の早い人、意思決定の早い人、行動力のある人、こういう人は1日に届くように送ってくれることが多い。年長者、同年輩にかかわらずである。自分も、毎年、1日には届くように投函しているし、こうありたいと思っている。



次に内容。もらって嬉しいのは、「去年はこんなことがあった、最近はこういうように考えるようになった、今年はこういうことに取り組むつもりだ」、などといったように、その人の思いなり息遣いなりが伝わってくるものである。また、幾人かの方は、自分で詠まれた歌を書き記してくれる。これは真似はできないが、好感が持てる。その人の感性の一端を知ることができるからだ。昨年に旅行した場所で撮った写真を入れて近況を書き添えてくれるのも、まあよい。


逆に関心しないのは、自分の子ども、特に赤ん坊の写真だけを印刷したものである。特に以下の二つが困る。
①赤ん坊の写真だけで一切のコメントのないもの。これは論外だと思う。こちらは、相手とのコミュニケーションを希望しているのに、その人の赤ん坊の写真が印刷されているだけでコメントが一切ないと、コミュニケーションを拒絶された気分になる。てめえのガキのことなんぞ、こちらにはどうでもよろしい。というか、そのうちガキがぐれるようになって人様に迷惑をかけるようになるかもしれないとか、そういうことは考えないのか。「自分の子どもの写真を印刷して送ってくるのは不快だ」論はさんざん言われているのに(http://column.chbox.jp/home/kiri/archives/blog/main/2006/01/03_022926.html)、なかなか改まらないのは困ったものだ。

②AさんとBさんが結婚しのちに離婚(子どもなし)。Aさんは、のちにCさんと結婚し、はじめて子どもをもうける。Aさんは、このCさんとの間に出来た子どもの写真を入れた年賀状を送るのだが、送り先には、Bさんと友達だという人がいる。自分はAさんともBさんとも知り合いという経験がないのでコメントできないのだが、このような経験をする年長者の中には腹を立てる人が多い。受け取った相手は、Bさんとも友達なのだから、これは「デリカシーがない」と謗られても当然だろう。


それから、意見が分かれるのは、家族の名前を書くかどうかだ。賀状の差出人に家族全員が並んでいるのは感心しないという意見もある。自分としては、子どもはともかく、配偶者の名前を記すことは否定しない(たとえ配偶者を、こちらが知らなくても)。というのは、これは年長の知り合いから聞いた話なのだが、彼いわく「知り合いが亡くなった場合に、配偶者の名前がわからないと弔電の打ちようがない、だから、ボクは、女房の名前を記している。自分が死んだ時に、弔電を打ってくれる皆さんが困らないように」とのこと。なるほど、と思った。


あと心配なもの。昨年まで、配偶者や家族の名前を記していたのに、今年から本人名しか記さなくなった者。離婚でもしたのか。それと、同年輩で、こちらが年賀状を送っているのに返答せず、なおかつ普段会っていて、年があけても挨拶も御礼もしない者。ポリシーがあって送らないのならばそれでも一向に構わないが、一言の礼もないのは不愉快である(笑)。