東北大・研究不正疑義に関する全学調査委員会調査報告書を読む

歯学研究科における研究不正疑義に関する調査結果の公表
http://www.tohoku.ac.jp/japanese/2009/04/news-20090421.html


相手の言い分をひとまず受け止めつつ、それがいかに間違っていると断じるべきか。また相手の言い分に対して、その不自然さをどのように批判すべきなのか。相当な時間と労力がかかっていることだけは間違いない調査の報告書からは、学問全般にも通じる批判説得の方法を学び取ることができる。いくつか印象的な箇所を抜き書きメモ(pp.108-111)。


まずは被告発者本人の弁明:

研究倫理指針・規定等についての弁明
 上原助教は、平成18年に制定された「東北大学 研究者の作法」及び平成19年に制定された「研究活動における不正行為への対応ガイドライン」について、―貫してその存在を見たり聞いたりしたことはなかったと主張している。また、所属する研究室において、これらに関する情報は周知されていなかったと主張している。
 さらに、本件の不正疑義に関わる研究は、本指針・ガイドラインが制定される以前に行われたことであるから、不正疑義対象研究が行われた時点まで遡って適用することはできない旨を主張している。

疑義に関する実験データの存在についての弁明
 上原助教は、今回疑義が指摘された論文16編に関して、論文#04ならびに#32を除き、実験データは全て自身の実験によって得たものと認めている。他方、本疑義に関わる実験データは全て失われていると主張しており、調査委員会委員も提出を受けたデジタルデータ、実験ノート、書類等を精査したが、当該実験データを見出すことはできなかった。
 なお、平成21年1月16日に至り、本人から当該疑義に関する実験データとしてポラロイド写真 (9葉)が提出されたが、提出された写真の多くは写真の―部を切り取ったものであること、また実験過程を記録した実験ノートは提示されていないことから、提出されたポラロイド写真が当該疑義に関する実験データであるとは判断できない。さらに、本写真が当該実験データであると仮定して画像の精査を行った結果、これらが当該実験データである可能性は否定された


こうした弁明に対して、調査委員会はどのように反論したのか。以下のようになる。

 研究倫理は従来より研究者という専門家集団の 「不文律」として機能しており、それが明文化されていないからといって遵守しなくともよいという理由にはならない。なお、平成18年、東北大学の研究倫理指針として 「東北大学 研究者の作法 (平成18年)」及び 「研究活動における不正行為への対応ガイドライン(平成19年)」が制定され、複数回にわたり、直接あるいは研究室主任教授を介して個々の所属職員に通知されている。また、東北大学ホームページには常に最新の情報が掲載されており、それを可及的に閲覧し内容を把握しておくことは、本学所属職員として当然行うべきことである。加えて、歯学研究科においては、各研究室に資料を配布するとともに施設内に掲示しており、たとえ研究室主任教授から説明がなかったとしても、その内容を十分知り得る環境にあったと考えられる
(中略)
 疑義に関する実験データについて、上原助教はパソコンの故障やパソコン上でのデータの消失により全ての電子データを失ったと説明している。データの喪失によって、11論文20項目という多岐にわたる流用の疑義を否定する証拠を提示できないのみならず、流用の実態について詳細を知ることも極めて困難になっている。また、平成17年にパソコン故障によりデータを全て喪失するという異常なアクシデントに遭遇したにも拘らず、その後においても電子データ以外の形式によるデータの保存やバックアップによるデータの保存を一切行っていないことは、単なる不注意を越えたものと言わざるを得ない
 実験ノートの記載やポラロイド写真等の保存を怠るという研究姿勢は、実験科学の研究者として誤っていると言わねばならない。後述のように、高田教授及び菅原教授 (当時助手)は、上原助教に対し、実験ノートの記載法、実験データの保管法について特段の指導は行わず 「本人の常識」に任せてきた。さらに、ポラロイド写真が保存されていないことは、高田教授及び菅原教授 (当時助手)がオリジナルデータの精査及びそれに基づく議論を行っていない可能性を示しており、研究指導体制に不備があったことを示唆する。しかしながら、上原助教がこのような状況下にあったとしても、そのことは一研究者として実験結果を保存しない上、実験結果を流用するという不適切な研究を続けてきたことを正当化する理由にはならない
 疑義の対象であるRT-PCR実験の目的は、特定の遺伝子の発現の有無である。そのためには、実験の都度コントロ―ルであるGAPDHの発現状況を確認しなければならず、一組の実験に対し一組のGAPDH発現データが必ず存在するはずである。もしそれが他の実験のGAPDH発現データの複写であるならば、その実験の意義は失われる。したがって、上原助教の主張する、遺伝子の発現の有無という定性実験においては個々の泳動像の類似性を取り上げて議論する意義はないという認識は、根本的に誤っている


http://d.hatena.ne.jp/eurospace/20080717