下村脩「私の履歴書」から

2001年、19年間研究の場としてきたウッズホール海洋生物学研究所を退職した。73歳のときだった。
これに合わせ、マサチューセッツ州ファルマスの自宅を増築し、自分で生物発光の研究を続けるための施設を造った。研究室のスペースは50平方メートルあまりと広くはないが、1人で使うには十分だ。
米国では、大学や研究所をリタイアしたのち、自宅で研究を続ける科学者は珍しくない。ただ、顕微鏡一つあれば多くの研究ができる生物学者とは違い、化学や分析が専門である私の場合は、分析機器など、一通りの設備が必要だ。
ウッズホールの研究所では研究室を1人で使っていたし、そこの機器は私が研究資金を申請して購入したものだ。米国ではこうした物品は研究所に帰属するが、自宅に移す許可は簡単に得られた。処分するにも費用がかかるからだ。そこで、色々の使い慣れた機器をそのまま、自宅の研究室に運び込んだ。

下村脩私の履歴書」『日本経済新聞』2010年7月27日より


日本の科学者が読むと、悔しさを覚えるくだりではなかろうか。日本では、研究資金で購入した機器を自宅に移す許可は、まず得られそうにない(大学から別の大学に移すことさえ、容易ではない)。そして何よりも、マンション住まいであったとしたら、自宅に移して自宅で研究を続けること自体が不可能であろう。日米間での住宅環境の違いは、こういうところにきいてくる。