「今年の予想」なるものについて

新春の風物詩の一つに、「今年の予想」なるものがある。株式、為替、マクロ経済などの予想(高低の幅)を、エコノミストや経営者がほざくという、あれである。


日経平均が史上最高の\38,915円をつけたのは1989年の大納会であった。その後、日経平均が大きく下落していったのはよく知られている。


わたしはかつて「1990年の初頭に、この年の株価暴落を予想していた人は、果していたのだろうか」と思って、この種の予想が載っている1990年年初の日経新聞の縮刷版を調べてみたことがある。興味がある人は見てみて欲しいが、エコノミスト・経営者の予想として、1990年正月の時点では、強気ばっかりで、日経平均5万円とかいう予想が、かなりあった。誰がこのような予想をしていたかは、ここには書かないが、「外した」エコノミストのなかには、その後も政府の審議会などで「活躍」した者もいる。他方で、1990年の暴落を予想していた人はほとんどいなかったように記憶している。


そんな昔のことは調べにくい、というのであれば、2008年正月時点での予想でもよい。この年の世界金融危機による大混乱を見通していたエコノミスト・経営者などいない。予想とはこの程度のものである。この程度の「予想」のなかから、強気の予想を読んで自分を安心させたりしているような人は、投資には向かない。


「今年の予想」なるものは、それを読んで先行きを占うのではなく、その年の12月末まで取っておいて、そのときに、いかにエコノミスト・経営者の年初の予想が当てにならないかを理解する教材として用いることを、お奨めしたい。


わたしは、何も「エコノミストや経営者が馬鹿だ」と言いたいわけではない。市場というものは、しばしば人間の大方の予想を大きく裏切るほど動く、という経験則を述べているだけである。