読了/本山美彦『売られ続ける日本、買い漁るアメリカ』

売られ続ける日本、買い漁るアメリカ―米国の対日改造プログラムと消える未来

売られ続ける日本、買い漁るアメリカ―米国の対日改造プログラムと消える未来

ようやく読了。「日米(経済)関係は対等なものではなく、極めて歪んだ関係にある」--このことは、程度の差はともかくとしても、ほとんど誰もが気づいていることではある。しかし本書を読むと、あらためて、「アメリカは日本に対してここまで注文をつけてくるのか」という驚きを禁じざるを得ない。個人的には、「次は医療が売り渡される」という指摘に関する部分(第4章)を、もっとも興味深く読んだ。また、アメリカでの自己破産の多くは、国民皆保険がなく医療費が高くつくからだという指摘には、合点がいった*1。何でアメリカという国はあんなに自己破産が多いのか、そして貯蓄率が低いのかについては、前から不思議に思っていたのだが、ようやく納得できた。別に彼らが『浪費するアメリカ人』だからというわけではないのだ。米国の異常な貯蓄率の低さも、この国民皆保険の不在が大きく影響しているのだろう。

以下は、望蜀の思いというよりも、感想、あるいは関係者が今後考えていく必要があると思われる論点の列挙である。


(1)米国経済論、あるいは日米経済関係論として

著者によるこの仕事は、本来であればむしろ米国経済の研究者、あるいは日本経済の研究者によって成されてしかるべき仕事であるように思う。もちろん、国際経済学を専門とする著者が取り組んでいけないということはまったくないのだが、実際のところ、本書を読めば、米国経済の研究者はこういう大事な問題を取り上げずにいったい今まで何をしていたのか、とさえ思えてくる。


(2)米国の対日要求を、多角的に位置付けると、どうなるのか?
年次改革要望書』『共同現状報告書』『外国貿易障壁報告書』『日米投資イニシアティブ報告書』『首脳への報告書』などといったレポートと、二国間協議によって、アメリカが日本に対してさまざまな経済構造改変圧力をかけており、それらが成功していることはよくわかった。ところでこうした二国間協議やレポートは、アメリカと日本の間にのみ存在するものなのか。例えばアメリカと韓国、アメリカとカナダ、アメリカとメキシコといったような間でも、やはり同様の二国間協議やレポートが存在するのか。存在するとすれば、それらと比較した場合に、日米間の協議やレポートにはどのような特色があるのだろうか。これらは、国際関係論、比較政治経済学の課題。


(3)日本の政策決定過程に及ぼした影響の検証が待たれる
最近、経済政策に関する叙述的な研究を、経済学者がやらなくなってしまっている。そして、その代わりにと言うべきか、政治学者(行政学者)が経済政策の決定過程の研究に取り組むようになっている。村松岐夫らによる『平成バブルの研究』(上・下、東洋経済新報社)、『平成バブル先送りの研究』(東洋経済新報社)、さらに村松らの薫陶を受けた上川龍之進の『経済政策の政治学:90年代経済危機をもたらした「制度配置」の解明』(東洋経済新報社)などが、それである。

 これらは学ぶべきことの多い研究成果ではあるけれども、いずれも、不良債権処理や、平成不況をもたらした大蔵・日銀の政策決定過程を検討したものであって、本書(『売られ続ける日本、買い漁るアメリカ』)が俎上に載せているようなトピックを検討しているわけではない。だがしかし、米国の対日要求がいかにしてわが国において課題として設定され、また実際に実現されていったのか、さらにその過程において経済財政諮問会議は果たしてどのような(買弁的)役割を果たしたのかなど、1990年代末以降の日本の経済政策決定過程を米国との関係のなかで検証するという仕事の存在が、本書によって浮かび上がった。したがって、本書をきっかけとして、経済政策の決定過程に関心をもつ意欲ある政治学者の仕事が続くことが望まれる。本書は、森田実が述べるように、「関岡英之著『拒否できない日本』(文春新書、2004年4月刊)に始まる『日米関係の本質と日本の危機』を抉り出す研究の流れを集大成したような著書である」*2と同時に、これまでとは異なる新しい次元での研究を、政治学に対して要請する本でもあると考えられる。