研究者と出版人:出でよ、「研究者兼出版人」

欧米には、研究者でありながら、同時に出版人または編集者としても一流の仕事を成している人物がいる。トービン税というのはもともと、投機的な短期資金移動の抑制を目的として構想された税だが、これをむしろ世界の貧困対策に活用すべしという提案をしたイグナシオ・ラモネ(Ignacio Ramonet、イニャシオ・ラモネと表記する場合もある)は、オルターグローバリゼーション論・反グローバリゼーション論の著名な論者にして、ATTAC(Association for the Taxation of financial Transactions for the Aid of Citizens)の創設者であるが、彼はルモンド・ディプロマティーク紙の社主・編集主幹であると同時に、パリ第七大学の教授でもある。つまり、研究者であると当時に出版人、ということになる。


ラモネの場合、研究者としての活動が一流であると言えるのかどうかはよくわからないが、研究者としても出版人または編集者としても間違いなく一流の仕事をしてきたのは、アンソニー・ギデンズとデヴィッド・ヘルドだろう。とくにギデンズは『第三の道』や『近代とはいかなる時代か』等の著作であまりにも有名だが、彼らがともにPolity Pressを創設(1984年)したことは、意外と知られていない。Polityがなければ、現代社会科学の潮流はずいぶんと違ったものになっていたのではないかと思えるほど、近年の同社の出版活動は精力的かつエキサイティングであるが、その背後には、ギデンズとヘルドという二人の大物社会科学者の存在がある。こうした出版社は、往々にして仲間内のサークル活動となりそうな印象があるが、同社は商業的にも成功しているようだし、何よりギデンズが凄いのは、たとえばアレックス・カリニコスという左翼に、自らの第三の道に対する批判を書かせ、それを自らが創設した出版社であるポリティから上梓させてしまう、という知的誠実さにある。これは、なかなかできることではなかろう。


さらに、20世紀後半の歴史学に大きなムーブメントを起こした「記憶と歴史」の関係に関する研究に取り組んできたピエール・ノラは、フランスの名門出版社ガリマール社の編集顧問を長らく務めてきた。ノラの編による『記憶の場』自体が、ガリマールから刊行されている。


こうした実例に比べると、日本では、研究者と出版人または編集者、あるいは研究者とアカデミック・ジャーナリスト*1のように、二足のわらじをはくという学者が少ないように思える。だが考えるまでもなく、優れた出版物が世に問われるためには、それを発掘し、評価する人物がどうしても必要なことは明らかであり、出版の仕事にもっと積極的に取り組む研究者がいてよいと思う。二足のわらじをはく研究者といえば、竹中平蔵のような「研究者兼政治家」か、村尾信尚のような「研究者兼キャスター」しかいない、というのでは、あまりに寂しい。印象論の域を出ないが、「研究者でありかつ政治の仕事に携わる」というのはアメリカに多く、「研究者でありかつ出版の仕事に携わる」というのはヨーロッパに多いように思える。こういうところにも、ヨーロッパの知性のあり方ではなくアメリカの知性のあり方がもてはやされるいまの日本のアカデミズムの特徴が、くっきりと現れているような気がする。