読了/本田由紀『多元化する「能力」と日本社会』

著者のテーゼは明確である。学力などの「近代的能力」と、コミュニケーション能力などの「ポスト近代的能力」を区別したうえで、大学進学者は、前者と後者ともに恵まれている層と、前者には恵まれいてるが後者には恵まれてない層があるという指摘などは、自分にとっては興味深かった。どういうわけか著者は明記していないけれども、大卒後、企業社会で就業継続の困難に直面し、大卒フリーターや大卒「ニート」に転落していく層は、おそらく後者であることは明らかである(大学院進学者のなかにも、こうした層が含まれている)。


さらに、少子化の原因として、既存の説に疑問を投げかけ、ハイパーメリトクラシー化のなかで子育てにたじろぐようになり、それゆえ子どもを産むことにためらう層が出現しているからではないか、という新説を提示したことも評価できる。自分は以前から、「子どもを産みたいけど経済的要因によって産み育てられないから少子化が進んでいる」という説だけでは説明できないと思っており、「そもそも生み育てる気になっていない層が増えていることも少子化の一因」だとずっと思っていた。著者のテーゼは、こうした自分の直感と整合的である。


きわめて限定されたデータから統計的解析を行い、数値にもとづいて「ハイパーメリトクラシー化」の進行という「日本の現代」像を描き出したことは評価されてよい。データの不十分さに異を唱える向きは多いだろうが、もとより著者も認めているとおり、本書は確定的な実証論ではなく、むしろ論証を進めるためのデータがきわめて不十分にしか存在していないなかで、「ハイパーメリトクラシー化」というトレンドを析出し、これに関する議論を喚起するという試論的な性質のものであるから、データの適切さを殊更にあげつらうのは、建設的な議論ではないと思う。


むしろ問題なのは、このテーゼを打ち出した後で提示される「ハイパーメリトクラシー化」への対抗策のほうである。著者が提示する対抗策は、「専門性」の形成を学校教育制度において重視することであり、また企業も専門性に基づいて雇用者を処遇するようすべきだ、というものである。そして「専門性」を形成する上で重要となるのが、専門高校であり(ただし専門高校にすべてを期待しているわけではないが)、要は職業高校復権である。


著者は明示していないけれども、これは初等・中等教育において職業能力開発を重視するドイツの教育制度に似ている部分がある。そしておそらくドイツの現実を念頭においた上で、「『専門性』は労働市場との関係において常に需給ギャップや陳腐化のリスクに直面しているため、学校教育が提供する『専門性』の切り分け方やその内容自体が不断にチェックされ、外部社会の動向とできる限り即応したものであるように改新される必要がある」(pp.267-8)と述べている。


しかしこれは言うほど簡単ではないと思う。かつてのような重化学工業主体の時代とは異なり小刻みかつ柔軟な軌道変更が日常的に必要となっている現代という時代には、当然のことながら、企業において必要な技能や能力も、重化学工業主体の時代とは異なり、頻繁に変わっていくはずである。そうであるにもかかわらず、初等・中等教育という、高等教育とは異なりナショナルレベルでの統一性が強く求められ、それゆえに制度の小刻みかつ柔軟な軌道変更が容易ではない教育機関において、不断に変化し続けるようになっている技能を形成しようとしているという点に、ドイツの職業教育制度の根本矛盾がある。そしてそれゆえに、この国は情報産業などで遅れているという現実があるわけだが、著者はいったいこうした現実をどう受け止めているのだろうか。これが問題点の第一である。


問題点の第二は、第一の点と関連するが、そもそも職業高校を卒業したところでありつける職が少ないという問題が存在していることだ。近年の高学歴化の背景には、高校を卒業しても就職できない層が、とりあえずの「しのぎ」として大学に進学するという事情があり、これがいわゆる「大卒フリーター」の層の一部を形成していることは既に明らかになっている。この大卒フリーター問題は、景気回復により数年前と位相を変えつつあるが、それにしても、職業高校を卒業したところでありつける職が少ないという問題が消えるわけではないだろう。


問題点の第三は、仮に「専門性」を高める教育制度を作ることが是だとしても、この「専門性」の適用可能性そのものに限界があるのではないか、ということだ。企業が雇用者に対して「ポスト近代的能力」を求め過ぎていることは事実であろうが、これを改めたからと言って、「ポスト近代的能力」を必要とする職業がなくなるわけではない。著者は「専門性」という鎧をまとうことで、ハイパーメリトクラシー化という趨勢に抗いつつ、これが求める「ポスト近代的能力」を迂回的に形成していくべきだと考えているわけであるが、たとえば、サービス業の一部においては、より直截的に「ポスト近代的能力」が必要とされているはずである。そしてこうした能力を必要とする職業労働の比率は、やはり増えているように思う。「ポスト近代的能力」を本来必要としない職業に就く者には「専門性」を身に付けることが有用であるにしても、「ポスト近代的能力」を必要とする職業が増えており、これに教育がどのように対応するのかという問題に対する回路は、見えてこない。


このように本書は、多様な統計的手法を駆使した分析と、斬新なテーゼの提示には、成功しているものの、解決策の説得力は必ずしも高くない。でも、本書の意義は、「近代的能力vs.ポスト近代的能力」「ハイパーメリトクラシー」というフレームワークの提示にあるはずなので、その意味では読む価値があろう、と言っておこう。ただ、せっかく二刷となっているのに、あからさまな誤植が直されていないのは問題。著者と編集者は何をしているのか。