読了『国際公共財の政治経済学』

国際公共財の政治経済学――危機・構造変化・国際協力

国際公共財の政治経済学――危機・構造変化・国際協力

国際公共財(但しそれが何を指示するのかは、時代によって異なる)の供給という観点から、国際政治経済史を捉え直して考察した書。普遍性を持つ世界市場は、国際公共財の供給を必要とするが、その供給は不安定である。経済学者ながら専門外の政治史、法制史、軍事史に踏み込んだ第1章と第2章が独特。


著者の主張には基本的には賛成で、賛同しかねる指摘はなかった。マルクス派出身ながら、自由な国際通商体制の維持を強調している*1のも、ホッとした。誤植も少ない。ただ文献の記載方法で、いわゆるハーバード方式(著者名(出版年)方式)なのにibid.を使って「Friedman, ibid., pp157-203」といったように記述している(例えばp.326)のは理解に苦しむ。これは、かつて太郎丸博氏が批判していたものそのままである。


また、GATTの関税交渉について、本書では、トーケイ・ラウンドが1951年、ディロン・ラウンドが1960〜61だとされている(p.246)。これはウィキペディアの記述とも同じである。

しかし岩本他『グローバル・エコノミー』(有斐閣)では、トーキー・ラウンドは1950年9月〜51年4月、ディロン・ラウンドは1961年5月〜62年4月だとされており(p.52。ただし出所は『通商白書』1993年版、29頁)、齟齬がある。ちなみに財務省の資料では、トーキーラウンド(第3回)は1950〜51年、ディロン・ラウンドは1960年〜62年だとされている。他方で経済産業省の資料では、トーキーラウンドは1951年、ディロン・ラウンドは1960年〜61年、となっている。このように資料によって違うので、わたしもよくわからないのだが、ただ佐々木氏の記述は、この経済産業省の資料とは辻褄があっている。


 

*1:「より確実な生活水準の確保や食糧の量と質の確保は、国内措置だけではなく、グローバルに追求しなければ実現のしようがない。無論、『安全な食の確保』や『環境保全からの農業の保護』に合理性があることは確かだが、それらは農産物貿易の保護を正当化するに足りる理由とはならない」(pp.338-339)。