経済学と社会学

経済学から社会学へは越境しやすい。実際、経済学者が社会学者に転じていくという事例はしばしば見られる。


たとえば、阪大で教鞭を取る木前利秋氏は、もともと東大の経済出身で、世界経済論の故・森田桐郎氏と一緒に共著で論文を書いたり(これは、世界経済論の領域では珍しい)、ドイツの移民労働者の研究をしたり、国際労働力移動の研究を手がけたりしていた人であるが、これらと同時並行的に手がけていたハーバーマス研究のほうが評価されたからなのか、富山国際大学から移籍した阪大では、経済学部ではなく人間科学部の所属となり、いつの間にか社会学者になっている。以前に、ハーバーマスに関心を寄せる社会思想史の知人と、木前氏の話になったことがあるのだが、自分が彼に、「木前氏はかつては、ドイツのガストアルバイターの研究とかをしていて・・・」と言ったら驚いていた。彼は経済学者としての木前利秋氏を知らなかったのであり、これにはこっちが驚かされた。


こんな例はほかにもある。同じく阪大で科学社会学STS、医療社会学などを講じる山中浩司氏は、京大の経済出身であり、確か社会思想史の木崎喜代治氏の弟子だったはずである。山中氏は、フーコーとか、フランスの社会思想史をやっていたはずだが、フーコーといえば医学の歴史、というわけで、いつの間にかなのか、戦略的な結果なのかかは知らないが、社会思想史をベースにした科学社会学、医療社会学に転じていった。


こうした、社会学に転じていった経済学者は、探せばもっともっと見つかる。たとえば、大阪産業大学経済学部でカルチュラル・スタディーズ、社会思想を講じる水嶋一憲氏とか、九大助教授を経て最近東京藝術大学に移った、同じくカルスタの毛利嘉孝氏とかである。この二人も、山中氏同様、京大経済の出身である*1。どうやら京大経済にはこういう、社会学の領域にトランスしていくような伝統があるとみてよい。他に、東大経済出身だが、稲葉振一郎氏にも社会学に越境する傾向がうかがえる*2。また、社会学と経済学を両方手がけた日本における最初の事例は、おそらく高田保馬ではないかと思われる。


いずれにせよ経済学者が社会学に傾斜していくことは比較的容易である。社会学者は、自らの学問である社会学を、よく、「越境する知」と言っているけれども、むしろ社会学というのは「越境される知」なのだと思う。


ではこれとは逆、つまり、社会学から経済学への越境はどうだろうか。これはほとんどありえない。労働社会学のように、経済的なトピックを社会学者が手がけるという程度ならあるけれども、社会学者が経済学者に転じるという事例はまずない(ただし経営学者になることはある。これはとくに労務管理論などの分野で見られる。労務関係は、社会学出身者でも活躍できる)。経済学者は、文学部出身の経済史家を除いて、経済学以外の出自の者を拒絶しがちである。経済学は、「越境する知」であり、また「越境されない知」でもある。


経済学者から社会学者への転換が、比較的ありえることなのに対して、社会学者から経済学者への転換は、まずありえない。これはなぜか。それは両者の学問の性質の違いが関係していると思われる。社会学と比較して、経済学は独学が効きにくく、専門家の下でのトレーニングが必要な学問である。これに対して社会学には、経済学のように学問全体を貫く固有の理論がない。それゆえ、専門家の下で理論的なトレーニングを受けることの重要性が、経済学よりもはるかに低くなる。ということは、独学がしやすい学問である。

おそらくこうした事情ゆえに、社会学は他の学問分野から容易に「越境される知」なのである。故・森嶋通夫はむかし、社会学も勉強したかったようだが、高田保馬に「『社会学は年を取ってからでもできる』と言われて、経済学をやることにした」というようなことを書いていたが、高田のこうした示唆も、経済学と社会学の学問の性質に根ざしているように思える。


それと、経済学と社会学との関係について付言しておけば、一般的な傾向として、時代が下るにつれて、もともと経済学者が扱っていたテーマが経済学者によっては扱われなくなり、その代わりに社会学者によって扱われるようになるという傾向があるように思える。ウェーバージンメルの思想などを手がける経済学者は、最近は本当に少なくなってきた。これらはいまや、主に社会学者や政治学者によって手がけられるようになってきている。グローバリゼーション研究も、最近は政治学者や社会学者のものが大半である(日本はこの点、やや例外的)。



いずれにせよ、最終学歴が経済学部(経済学研究科)であるというのは、他の学問分野に転換可能であり、またそれが認められうるという意味で、便利なことであるし、経済学に安住したくない(できない)自分としても、最終学歴だけでも経済学にしておいて本当によかったと思っている。経済学から他の学問への転換としては、社会学への転換が一番やりやすいが、国際関係論などへの転換も可能である。自分の師匠に至っては、随分前から政治学者がやるような仕事を手がけていて、しかも彼らからも評価されるようになっている。願わくば自分も見習いたい(?)ものである。

*1:ただし水嶋氏が大学院も京大経済だったのに対して、毛利氏の場合、大学院からは、ロンドン大学ゴールドスミス校である。ゴールドスミスは、カルスタやメディア論などの領域に非常に強い大学である。

*2:もっとも彼の場合、まだ経済学を棄ててしまったわけではないと思われるが。