読了/フリードマン『フラット化する世界』

フラット化する世界(上)

フラット化する世界(上)

フラット化する世界(下)

フラット化する世界(下)


本書におけるフリードマンの論旨の骨格は、ある意味でものすごく単純である。すなわち、「ITはすごい、ITは世界を変える」、ほとんどただこれだけである。実際、「世界をフラット化させた10の要因」として、フリードマンが挙げているもののうち、第一の要因である「ベルリンの壁崩壊と、創造性の新時代」以外の9つの要因はすべて、ITに関連している。


では本書は、数年前(2000年前後)のIT革命論とは、何が違うのだろうか?
「世界をフラット化させた10の要因」のうち、9つの要因は、ITに関連しているが、このなかには、2000年前後には存在していなかったか、存在はしていたものの現在のようには大規模には機能していなかったものがある。それはたとえば、第三の要因のなかに出てくるビジネスウェブ、第四の要因のなかに出てくるブログやウィキペディア、第四の要因のなかに出てくるグーグル、第十の要因のなかに出てくるVoIPなどである。そして、これら2000年前後には存在していなかったか、大規模には機能していなかったものと、かつてから存在していたITのさらに発展したものとが、渾然一体となって、ひとつの臨界点を越えた(「三重の収束」)結果として、安価でシームレスなネットワークが世界中に形成され、個人(や小企業)が歴史上例を見ないほどパワーを授けられ(エンパワーメントされ)たことで、新しい世界=Flat World(垣根や障壁のない世界)が開かれた、というのが、本書におけるフリードマンの議論のエッセンスである。だから本書の隠れたテーマは、じつは、いわゆる「Web2.0」であり、必ずしも十分に明示化されていないにもかかわらず本書を読み説く上で重要なキーワードは「(シームレスな)ネットワーク」と「エンパワーメント」ではないかと思う。


さて、本書のこうした基本的な性格を踏まえた上で、高く評価されるべきはどのような点だろうか。きわめてざっくりと述べるならば、フリードマンは、スマイルカーブの真中に位置する生産や組立といった付加価値の低い工程やフェーズのみならず、スマイルカーブの端に位置する研究開発や設計といった上流工程までもが、(高度な技術者を多く抱える)インドや中国で普通に担われるようになりつつある位相を描き出しているわけであるが(ここで、全世界を飛び回り続けるタフなジャーナリストとしての彼の才能が、遺憾なく発揮されてくる)、こうしたフラット化が進んだときに、先進諸国には、いったいどのような種類の高賃金の雇用が、どれだけ確保されるのか?という大問題を提起していること、これが本書で評価されるべき点なのだろうと思う。


それにしても、凄まじい時代が到来しているのだと思わざるを得ない。というのは、生産のみならず研究開発や設計など高度な職種までもが、インドや中国でごくごく普通に担われそれぞれがグローバルに競争していくようになるということは、先進国のみならずこれらの国々もまた知識基盤社会(Knowledge-based Society)へ突入していくということを意味しているからだ。いったい誰が、かつて、インドや中国が知識基盤社会に突入しつつあるなどということを考えただろうか?いささか図式的に言えば、世界のフラット化により各国は今後、一斉かつ同時的な過程として、知識労働者vs.非知識労働者とに二分される社会へと変貌を遂げていくことになる。つまり、資本対労働というかつての対立軸はなくなり、知識労働者対非知識労働者という新たな対立軸が浮上してくるということだ。ただしここでいう「知識」とは、Googleで検索すれば誰もがタダ(無料)で入手できるような「情報」ではなく、新しいデマンドを察知する感性、そしてそれらを新製品や新サービスというカタチに落とし込む発想力、創造力、構想力といったような力のことである。


そういうわけで、「フラット化」はおそらく今後、当分の間、現代社会におけるキータームの一つとなるだろう。邦訳で800ページという分量の多さは、読み手にとっては厄介だが、現代社会と未来社会に関する議論を重ねていく上で多くの人々が共有すべきフォーマットとなる本であり、時間を作って読破すべきである。本書は未来社会のイメージとそれに向けた戦略がどのようなものであるかを、各人が検討する際の大黒柱となる本であり、読み手に対して、「では、われわれはフラットな世界でどのように生きていくべきなのか?」という思考(問い)を喚起する本だと思う。


なお、ややマニアックな個人的な感想を述べるならば、「パンデミック」(伝染病の大流行)が、フラットな世界(≒グローバル世界)における隠された大きなリスクであることを述べているのも、本書の貢献であると思う*1。グローバルなサプライチェーンの成立によって、国境を越える紛争の危険性が減少しているという指摘とつきあわせれば(第14章「デルの紛争回避理論」)、グローバリゼーションを反転させるのは紛争やテロよりも感染症である可能性が高いように思えてくる。


(追記)
本書では、「2000年以降のグローバリゼーションが、それまでとは質的に異なる段階に突入した」という考えに基づいて、これを「グローバリゼーション3.0」と形容している。2000年前後に質的な断絶を認めるかどうかはともかくとしても、「グローバリゼーション1.0」が1492-1800年頃、「グローバリゼーション2.0」が1800-2000年だというのは、世界政治、世界経済にまつわる歴史の常識に完全に反している。この点に関してはフリードマンの反省を求めたい。

 

*1:最近のグローバリゼーション論は、この感染症の脅威という論点を盛り込むようになってきている。マイク・デイヴィス『感染爆発』は、鳥インフルエンザを中心にして、現在のグローバル社会が抱えるリスクを明らかにした書である。