読了(水野『終わりなき危機』)

終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか

終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか

本書は、本文354ページに対して、注が160ページもある。本文と注の比率が概ね2対1となっている。マーケットエコノミストの書で、これだけ注の分量の多い書物は、珍しい。読者は、本文と注を行き来する頻度がきわめて高くなるうえに、注が浩瀚なため、本文そのものを通読しにくく、論旨を理解するのに骨が折れる。私は、第2章までは、注に遭遇するたびに本文を読むのを中断して注を逐一読んでいたが、第3章以降は、注を殆ど飛ばし、本文の読解に注力した。そして本文を読み終えた後に、注を通読した。


本書のいまひとつの特徴は、(1)詳細なデータと計量分析に基づく日米経済の実証分析と並んで、(2)世界経済史、世界システム論、政治思想史などの知見を盛り込んだ文明論的な考察が、かなりのウェイトを占めていることである。これもマーケットエコノミストの書としては異例な事と言える。


本書は4章構成となっている。各章において、節が3つまたは4つ設けられているのだが、章または節ごとに、上記の(1)と(2)が分けて論じられているのではない。一つの節のなかで、上記の(1)と(2)を行き来しながら、議論が進められていく。時に一つの経済事象を微細に分析したかと思えば、そうした一つ一つの経済事象が、長期の世界システムの動態のなかで持ち合わせている意味が示されていく。著者の手にかかれば、凡そ相互に関連性の見えない、浮かんでは消える泡沫の経済事象が、あたかも一つのジグソーパズルのピースであったかのように、マクロな構図のなかに位置づけられていくのである。こうした超俯瞰的な考察と、微細な考察とが、頻繁に入れ代わるのが本書の特徴である。


わたしが著者の分析で唸らされたことの一つは、原油価格高騰(という交易条件の悪化)が、日本経済、社会情勢、そして世界経済史に突きつけている意味の大きさである。近年の原油価格高騰が、これほどまでに大きなインパクトを、日本経済、世界経済、および世界政治に突きつけているとは、恥ずかしながら想像だにしなかった。本書を読むと、交易条件の変化がもたらす歴史の大きな流れの威力が、じつに強いことを、痛感させられる。およそ我が国の成長戦略として論じられているものの大半は、こうした威力の前には、無意味である。のみならず、著者によって示される文明論的な大転換に即せば、近代化とは何だったのか、経済成長とは一体なんだったのか、欧米主導の資本主義とは何だったのか、といったきわめて大きな問いが浮かび上がってくるし、歴史の流れの威力の強さのなかで、人間の無力を感じさせられる。


それにしても、本書は、わかりにくい。4章構成となっているが、4つの章が相互にどういった関係になっているのかが、一読しただけではわからない。章毎に、とまでは言わないにしても、せめて一つの節のなかで、上記の(1)と(2)とが分けて論じられていれば、まだわかりやすいのだが、そうでもない。また、議論の流れがほとんど示されていないので、読者としてはこれからどのような議論につき合わされるのかがさっぱりわからないのも、読解上やっかいである。著者の頭のなかにあることが、体系的に整理され、説得的であるような段階にまでは至っていないまま提示されているという感がある。さらに、文明論的な考察の部分は、残念ながら実証的ではない。良くも悪くも、著者が提示するパースペクティブは、独断的といって良い。それは確かに読者の関心を惹くものではあるけれど、人によっては異論もあろう。文明論的な考察の部分は、著者による問題提起と受け止めたほうが良いし、今後の世界経済の流れによっては、泡沫の経済事象が、著者が示したものとは別様な意味づけをなされていく可能性もあると思う。


このように、いささか異様な本ではあるので、読者を選ぶことは間違いないし、評価もさまざまであろう。ただわたしとしては、著者の議論を実証的ではないとか、独断的だと貶すよりも、むしろ、著者の問題提起(特に利子率革命つまり利潤率の低下という現実)を受け止めたほうが、遥に生産的で、意味があると思う。この先進国のグローバルな停滞(定常型社会への移行)そして近代の終焉という問題提起を受け止められるかどうかが、本書の評価の分かれ道になるのではないか、という気がしている。