不可解で不愉快なこと――連鎖的に甦った20世紀末の思い出

必要があって、以前勤めていた会社に「在職期間等証明書」の発行をお願いした。電話で依頼すると、「発行依頼書のフォーマットを、メールの添付ファイルで送るので、これに必要事項を記入の上、そちらの手元にある在職期間等証明書の様式と一緒に、郵便で送ってくれ」とのことだったので、その指示どおりに郵送した。その際自分は、発行依頼書と在職期間等証明書の様式の2枚を、クリアケースに入れ、返送用の切手を貼った封筒(もちろん自分の住所と氏名も記して)も同封した。そしてクリアケースには、このケースに入れて返送して欲しい旨を記したメモ(ポストイット)を貼り付けておいた。


ところが、数日たってこの会社から送られてきたのは、こちらから送った封筒ではなく、ヤマト運輸の宅急便であった。そして開封すると中に入っていたのは、「在職期間等証明書」一枚のみで、こちらが送った「返送用の切手を貼った封筒」も、「クリアケース」も、同封されていない。あるいはひょっとして、別便で、クリアケースが「返送用の切手を貼った封筒」に入れられて送られてくるのかという期待もしてみたが、結局1週間経過しても、到着はしない。


いったいどうして、こういうわけのわからない対応をされてしまうのだろう。社内の既定で「在職期間等証明書」の送付は宅急便のみ、となっているのだろうか。仮にそうだとしても、こちらが気を利かせて送った「返送用の切手を貼った封筒」を、どうしてその宅急便に同封してくれないのだろう。クリアケースは依然として没収されたままである。


ちなみに言えば、「在職期間等証明書」の発行を電話でお願いした際、電話に出た人は、「わたしにはわからないので、後で上の者から折り返し連絡をいたします」と言っていた。このこと自体には何の問題もない。だが、自分は自宅の番号を告げたあと、本日は自宅には夜遅くまでいないこと、また夕方までなら、職場にいるのでこちらに電話して欲しいとも告げた。このやり取りをしたのは午後3時台である。それなのに、この会社の「上の者」は、午後4時にさえなっていない時間に、自分の自宅の留守電にメッセージを入れる一方で、こちらが居る職場には電話をしてこなかった。人の話を聞いていないか、担当者間での連絡がうまく行っていないとしか思えない対応である。


この会社には、こういうわけのわからない対応をされたことが以前にもある。一度目は退職の2ヶ月前のことであり、年末の12月に、年度末の3月末で退職したいと申し出たのにもかかわらず、1月の下旬になって、「あなたの退職は2月末と決まりました」と一方的に通告されてしまったことである。これでは履歴書に空欄が出来てしまうし、もとより退職後の住まいもまだ確保してない。さすがに自分も相当にアタマに来て、部課長に敢然と抗議した結果、2月末退職を撤回させることに成功し、3月末退職に持ち込むことができたが、精神的にとても消耗した。そして、その際にわかったことは、課長が部長に自分の2月末退職を進言していたことであり、しかも、そうであるにもかかわらず、この課長は、自分の退職時期について、「私に決定権はありません。(会社が決めます)」とのたまったのである。「会社っていったい誰のことなんだよ。課長は使用人なんだから『会社』なのとちゃうんか」と心の中で毒ついたのは、20世紀最後の年の、最初の月の、最後の日のことである。ちょうど日産自動車にゴーンが呼び迎えられてまだそれ程経っていない時期で、ゴーンは、日産に来て戸惑ったことの一つとして、「日本企業では、誰がどこまで何の責任を負っているのかがまるで不明だ」と言っていることが報じられた直後だったのだが、はからずも自分も、ゴーンと同様にこのことを痛感した。退職時期を当初2月末と決定し、その後、私の抗議をうけて、3月末に再調整した人は、いったい誰だったのか。直属の部課長でもなければ人事部でもなかったのは確かなのだが、いまだに不明なままである。


二度目は退職の直前から直後にかけてである。退職の手続きをしたとき、社内の担当者から渡された書類には、□□については「毎年○△万円支払われます」と書かれてあった。そして自分は、この記載内容を鵜呑みにした。ところが、これがまずかったのである。実際に退職後に送られてきた別の書類には、「毎年○万△千円支払われます」となっていたのだ。要は、最初の書類とは、ケタが一つ違うのである。青くなった自分は、退職直後に引っ越した住まいから、かつて在職していた会社に電話で問い合わせたのだが、最初の書類の記載内容が間違いでした、とのことだった。しかし、こちらは「○△万円」のつもりで算段をしていたのだ。「想定が狂った。困る」と語気を強めたが、電話口の向こうは、書類の誤記をそっけなく詫びるのみだった。


こういうわけのわからない対応が積み重なると、どうしても、この会社には独特の問題があるように思えてならない。もちろん自分にもいろいろ問題はある。年度末での退職を希望するならば、上司に申し出るのはせめて1月に入ってからで良かったのではないかとか、退職時期を2月末と通告されたのは会社は自分を一刻も早く厄介払いをしたかったからであり、それはなぜかといえば自分が不良社員だったからに他ならないだろうとか、短い勤務期間で□□が毎年「○△万円」も支払われるはずはないということに気づかなかったとか・・・。


でも、それにしても、やはりわけのわからない対応がこの会社には多すぎる。「在職期間等証明書」の発行をお願いすべく、担当者と直接話をしようと思い、退職時に渡された書類に記載されていた電話番号に電話したところ、一般の民間人の家につながってしまった。番号が変わってしまったらしい。それは構わないが、この会社のホームページにアクセスして新しい電話番号を探しても、どこを見ても代表電話番号一つ記載されていない(12月31日現在でも、依然として)。しょうがないので、104番号案内でこの会社の電話番号を調べたが、いまどき会社の電話番号ぐらい、普通ホームページに記載するだろうに。この会社の子会社のホームページにはきちんと電話番号が記されているのに、どうして親会社だけ記さないのか。大企業のやることとは思えない不手際である。およそ社外の人から電話を受けたくないとしか思えない。


この会社を辞めたことに後悔はない。「私物にして良い」として会社から支給された電子機器類は、しかし退職時に、すべて会社の机の上に置いてきた。その理由は、退職時期をめぐる上司とのごたごたや、退職理由をめぐって人事部社員が自分を呼び出した際に発した不快な一言*1などがあって、とにもかくにも、法人としてのこの会社と退職後に関わる可能性を極力ゼロにしたかったからである。だが、この会社に在職していたことは、今後も自分の履歴書にはずっと付きまとうのであり、いずれまた「在職期間等証明書」の発行をお願いしなければならないなど、何らかの形で関わらざるを得ないことがあるのかもしれない。しかし、そうであったとしても、「こういう不可解で不愉快なわけのわからない対応は、お願いですから、もう二度とご免被りたいです」とつくづく思う2006年の年末である。退職直後に引越してきたこの都市の住人として迎える、おそらく最後の新年が、まもなくやってくる。



 

*1:この社員は自分に対して、「その道に進むと、収入はカツカツだろうから、女の子とデートして遊ぶとかはできなくなるよ」(大意)と勝ち誇るように語った。まったくもってどうでもいい「余計なお世話」としか言いようがないのだが、それにしても呆れたのは、「デート」と「自分が信じる天職」の両者を二者択一のものとしてしか捉えられず、また会社から得る多額の収入を恃みに女性と向き合っているこの社員の、精神の薄っぺらさである。