読了(チャン『はしごを外せ』)

はしごを外せ―蹴落とされる発展途上国

はしごを外せ―蹴落とされる発展途上国

まずまず。比較的薄い書だが、メッセージはシンプルなのでかなりくどいと感じる箇所がある。章の間、章の内で、内容的に重複している箇所もある。不適切な人名表記や、文献表記の記載方法、さらには鍵括弧の閉じ方(読点の位置や、括弧を鍵括弧の中に入れてしまっていること)などで、全体を通して日本語翻訳とその表記に若干の問題がある。これらの責任は、監訳者の横川信治先生に帰すべきだと考える。


以下に気になった誤記を記す。カッコ内はページ数、矢印の右側はわたしが正しいと考える表記。
「ウォルト・ロストー」(12)→「ウォルト・ロストウ」。Rostowはロストウでしょう。
「グスタフ・レィニス」(12)→「グスタフ・ラニス」。フェイ=ラニス・モデルのラニスである。
「驚くほど一致した歴史的パターンが存在」(123)→「驚くほど一致した歴史的パターンが存在」。不注意。
「しかし、発展途上国にとってそれ以上に重要な問題は、どのようにして最も基礎的な『ウェーバー性』を得るかとうことである」(148)→「しかし、発展途上国にとってそれ以上に重要な問題は、どのようにして最も基礎的な『ウェーバー性』を得るかということである」。こういう変換ミスが最近多くて、困る。
デソト」(156、157)→「デ・ソト」。The Mystery of Capital: Why Capitalism Triumphs in the West and Fails Everywhere Else(NewYork: Basic Books)で有名な、Hernando de Sotoである。
土井(1980)」(159)→「Doi(1980)」。英語論文の著者名を、勝手に日本語表記に変えないで頂きたい。
「同に」(186)→「同時に」
トイ(Toye 2000)」(189)→「トーイ(2000)」。『開発のディレンマ』で知られている開発論の学者。
「数10年」(220)→「数十年」
ジョージアアゼルバイジャンモルドバウクライナ」(234)→「グルジアアゼルバイジャンモルドバウクライナ」。日本語表記で「ジョージア」はないでしょう、横川先生。
「時間をかけなければならなかったことを忘れてはならない」(250)→「時間をかけなければならなかったことを忘れてはならない」。こういうのは、編集者が気づかないといけないのだが、日本評論社の本には、この手のミスが、残念ながら多い。




第2章で紹介されている経済史のエピソードで、いくつか興味深いものがあった。個人的には第3章を興味深く読んだ。なお、著者はp.139で、日本の普通選挙権の導入を1952年としているが、1952年は公職選挙法が施行されて初の総選挙の年であって、普通選挙(20歳以上の男女が選挙権を有する)はこの6年前の1946年に、1945年の改正衆議院議員選挙法に基づいて、スタートしている。


訳者あとがきには、「武蔵大学から研究出版助成金を受け取った」とある。私学は翻訳本にも研究出版助成金を出してくれるのか・・・びっくり。