読了(コリアー『最底辺の10億人』)

最底辺の10億人

最底辺の10億人

人が下痢で脱力し寝込んでいる間に、某氏は博論の執筆最中だというのに本書をわたしより先に読了したらしい。すげーむかつく(自分の下痢に)。


というわけで、きちんと仕事をしようと思えば、体力は大事であると改めて強く思う。ただし体力と言っても筋肉ムキムキである必要はない。ここで言う体力とは、「長時間机に向かい続ける力」、これである。わたしにとってこれを妨げるのが、腰痛、眼精疲労、下痢などである。前二者はともかく、最後のものは豚骨ラーメンを食べなければおおむね防げる。というわけで、もう本当に豚骨ラーメンなんて食べない(きっぱり)。


で、幾度もの中断を挟んでようやく読了したコリアーの最新刊だが、開発を妨げる「4つの罠」とそれに対する対応策(援助、貿易、国際的軍事介入、国際憲章)という問題提起は、評価して良いのではないかと思う。ただし四番目の罠である「ガバナンスの罠」について説明した第5章で、「イラクの体制」が「典型的な失敗国家の例」(p.123)であり、「イラク戦争に反対であっても、失敗国家における方向転換を評価しないということにはほとんどならないだろう」(p.124)としているが、イラクが米軍攻撃前に失敗国家だったとは到底思えない。フセインが国内でクルド人を弾圧していたのは事実だが、イラクが失敗国家に転落したのは、まさにイラク戦争によってであり、開戦前からイラクが失敗国家だったかのような認識は、ハッキリ言って事実誤認、デタラメもいいところである。世界を代表する開発経済学者が、このような歴史の改ざんを行なうのは、まったくいただけない。さらに付言すれば、イラクに介入しなければ、ルワンダのような最悪の結果が招かれるという言明(p.300)にも、首を傾げざるを得ない。それはなるかもしれないが、ならないかもしれない。なぜここまでイラク戦争を正当化したいのか、理解に苦しむ。


個人的に興味深かったのは、最底辺の10億人諸国が、労働集約型産業を興して世界経済に参入し経済成長を遂げるという戦略の実現可能性が、アジアの発展によって1990年代以降大きく減じてしまった、と断じている点。世界経済への参入時点のそれぞれに特有の経済環境が、開発の進み具合を大きく左右しかねないという論点は、いままで、関税による保護を行なえるかどうかという点に偏りすぎていて、アフリカの困難をアジアの発展にも帰す説明はあまりなかったと思う。だが、この論点は結構大事だと思うので、評価したい。


また、それ以外にも興味深い指摘は多い。天然資源は反乱を助長するが援助は反乱を助長しない、しかし援助はクーデターについては助長するとか、援助が有効に活用され経済再建に効果をあげるようになるまでには時間がかかるので、その間は援助以外の方法で紛争に逆戻りするリスクを低減させないといけないとか、ポストコンフリクト国への支援が今のように数年で機運が盛り下がるのではダメで最低10年は関与しないとダメだとか、政策コンディショナリティーは事前ではなく事後でないと機能しないとか、失敗国家からの脱出の援助プロセスはハイリスク・ハイリターンなので、ベンチャーキャピタル的な実践が求められる(それなのに今の国際援助はこうした実践をしていない)とか、汚職腐敗のひどい国では援助資金の管理運用は、既存の国家機関には無理で、政府と援助機関と市民団体が共同で運営する「独立サービス機関」が必要だとか、途上国での汚職腐敗が多いセクターは資源開発と建設の2セクターだとか、平和構築過程で選挙の役割を過大評価してはいけないとか、アフリカからの輸入関税をアジアからの輸入関税よりも下げろだとかいったものである。


それと援助の有効性についてだが、「(右派)イースタリー⇔サックス(左派)」で、コリアーはイースタリーとサックスの中間のようだが、インフラ整備に限定すればビッグ・プッシュの有効性を認めているので、真ん中よりはやや左、サックスに近いのだろう。ただしその場合にも汚職腐敗の防止に関する国際憲章を確立させてそれを機能させることが前提である。


訳文は、特に読みにくくはないが、ものすごく流麗というほどでもない。なお「10億人の国」または「10億人の諸国」とすべきところを「10人諸国」「10億国」「10億の国」などぐちゃぐちゃに入り乱れているのは論外である。