経済学テキストブック瞥見、感想

経済学の世界へ―経済の歴史と経済学の歩み (有斐閣アルマ)

経済学の世界へ―経済の歴史と経済学の歩み (有斐閣アルマ)

社会経済学入門

社会経済学入門

政治経済学へのアプローチ (Minerva text library (14))

政治経済学へのアプローチ (Minerva text library (14))

市場経済―歴史・思想・現在

市場経済―歴史・思想・現在

わけあって経済学の入門的なテキストブックを4冊(上記)、立て続けに読んだ。その上で、冒頭に掲げた太田・井上他『経済学の世界へ』(有斐閣)が、このなかではもっとも優れたテキストである、という結論に達した。もっとも、4冊を通読する前から、おそらく同書がいちばん優れているだろうという直感があったので、読んでも読まなくても結論は変わらなかったのだが(人間の直感は、意外とあたるようだ)。


では、他の書はなぜダメなのか。気になった点を記しておきたい。


角田修一編『社会経済学入門』。構成そのものは意欲的である。原論教科書としては珍しく、「抽象→具体」ではなく、「特殊分野に固有の理論→一般理論」というスタイルとなっており、これは評価してよいと思う。問題は、イデオロギー色が強すぎることだ。もとより「原論」テキストからイデオロギー色を払拭する必要はないし、そもそもできないとも思うが、本書では、マルクス主義のなかでも一部特定党派の見解と思しきものが前面に押し出され過ぎで、自分としてはこの特定党派の見解と思しきものに違和感を覚えた。テキストブックである以上、もう少しモデレートなほうが良いと思う。なお、明らかな事実誤認、固有名詞の表記ミス(「キヤノン」を「キャノン」と表記するなど)、文献名の表記間違い、あまりにもわかりにくい日本語表現などが散見されるのも、好ましくない。既に4刷になっているが、コンテンツの是非以前の基本的な改善点が多すぎる。最後に一点誉めておくと、松井暁の最終章はコンパクトながら多岐にわたる要点をおさえた学説史になっていて、好感を持った。


東井・森岡編『政治経済学へのアプローチ』。理論編と日本経済編という二部構成は評価できる。問題は、日本経済編の記述が古すぎることである。現在のことをカバーしていないこと自体は必ずしも欠点ではない。しかし本書の場合、過剰なイデオロギーに基づいて、執筆時点での悲観的な将来展望が提示されているのだが、その展望が、その後の現実の日本経済の展開(景気回復)によって裏切られてしまっている部分があり、テキストブックとしての使用に耐えない。また角田書と同じく、固有名詞の表記ミス(「キヤノン」を「キャノン」と表記するミスは、この本でも見られる)、文献名の表記間違いなどが散見されるほか、あまりにもわかりにくい日本語表現や誤字脱字は随所に出てくる。さらに、文中で「図X-X」となっているものが、実は「表X-X」であったりするといったミスもある。こちらは既に5刷になっているが、こんなひどいテキストブックで勉強させられる学生は、かわいそうだ。


山口重克編『新版 市場経済』。太田・井上他『経済学の世界へ』を除く3冊のなかではもっとも評価できる本である。一冊で歴史・思想・現在をカバーしているのも便利で良い。ただ歴史の章でジェントルマン資本主義論には言及がなく、西洋経済史・イギリス経済史の解釈には若干違和感を覚えた。ただこれは執筆者の問題というよりも、本書の執筆者の多くが属する東大の理論上の特性(問題)とも言える。なお、第三部第五章、故杉浦克己(東大名誉教授)による「市場と国家」は、文意の判然としない箇所がままあり(注1)、また異様にこねくり回した文章ゆえか、情報量そのものが少ないなどの不備があり、思い切って章そのものを削除したほうがベターであるとの感想を持った。また同じく第三部第六章、加藤國彦の「市場と世界経済」は、正直言って日本語表現が酷すぎ(注2)、とてもスムーズに読めない。著者は和歌山大学経済学部の教授だが、こんな文章を書いていて、学生の手前、恥ずかしくないのだろうか・・・。それと第三部第七章で須藤修(東大教授)が「地球環境と市場経済」を執筆しているが、須藤が本書で何か書くとすれば、環境論よりもむしろ情報論(第三部第三章)だっただろうに。案の定と言うべきか、須藤によるこの章には、「地球環境」と銘打っているにもかかわらず、「リオサミット」も「京都議定書」も出てこないが、これはちょっと問題ではないか。この章は、須藤の情報論・ネットワーク論的関心が前面に出すぎており、そのあまりか、入門的なテキストに盛り込まれるべきベーシックな情報が欠落している。これは残念なことだ。さらに、第三部第二章、植村高久による「市場経済と現代農業」では、「GATTウルグアイラウンド(1988〜)では」(p.208)という表記があるが、ウルグアイラウンドは1986〜1994年なので、この記述はおかしい。


いずれにせよ、上記3冊には内容以前の不備があまりにも多すぎて、読むことそのものがストレスフルであった。何よりも「テキストブック」であるから、通常の書物以上に、表記の不備があってはならないはずだが、このことが、あまりにも守られていない。

自分は、編集者・学術書分担執筆者の双方の経験があるので、編集サイド・執筆サイドの両方のことがともにわかるのだが、執筆者が学者であっても、その文章は、しばしば「めちゃくちゃ」というのがこの世の現実であり、また執筆者が多くなればなるほど、全体を通しての表記の不統一といったミスが出やすい。だから、これらに対してサジェスチョンを与えたり、統一をかけるのが、編集者の仕事の一つなのだと思っている。そういうわけで、大月書店、ミネルヴァ書房名古屋大学出版会の担当編集者は、上記の仕事を十分にしていないという「怠慢」を反省して欲しいと思う。

他方の学者は、「己の書いたものには、しょせん必ず不備があるのだ」という謙虚な心構えを持ち、常に編集者に提案や批判を乞うようにすべきだ。また、原稿を編集者に提出するときには、編集者に対して、「ぜひ提案や批判をしてください」と一言お願いして欲しい。たまに、明らかに間違っているのに、自分の間違いを認めない強情な学者というものが世の中には存在していて、そういう人と付き合っていると、だんだん学者にコメントすること自体に萎縮してしまうというのが編集者という生き物である。したがって、学者は、「私は、きちんとコメントしてくれると助かります」ということをあらかじめ編集者に伝えておくと良い。こうすれば、編集者との間で良い人間関係ができ、それにより忌憚ない批判がなされるが、これにより、改善が図られ、結果として、読みやすくわかりやすい刊行物になる。だから、学者は、くれぐれも、自分の筆力だけで書物を刊行できるなどと思ってはならない。良い書物の背後には、必ず、良い編集者の活躍が隠れているのだということを、知っておいて欲しい。最後に、不備のある章を書いた執筆者の先生たちへ、一言。「こんないい加減なテキストブックを書いていると、学生が付いて来なくなりますよ」




(注1)一箇所だけ例示しておく。284ページ。「5)福祉国家」の項の冒頭。

現代国家の類型として軍事国家と対照的に取り扱われるのは福祉国家である。福祉も軍事と同じように、何のために経費支出がなされるかという目標を含んでいる。しかも、それは外的に与えられるものではなくていわば自生的な目標といってよい。

繰り返すが、この文章は、一つの項目の冒頭である。だからこの引用箇所の以前に、この文を理解する鍵はないのだが、ゴシック体にしたところは、何を言いたいのか、まるで意味不明である。



(注2)山ほど指摘できる。まずは、比較的まともな例。293ページ。

資本主義の世界史的発展は、ある特定の時期の指導的先進国における支配的産業―支配的なる資本の形態を確定するという方法的手順によって、特定の時期の経済構造と変化を世界史的発展段階として解明されよう。

わからない日本語である。以下のようになっていれば、まだ一応はわかる(それでも主部と述部に「発展」が重複しており読みにくいが。なお、この箇所は、宇野弘蔵の表現を真似しているので、問題は宇野そのものにある)。ゴシック体の部分が改善箇所。 

資本主義の世界史的発展は、ある特定の時期の指導的先進国における支配的産業―支配的なる資本の形態を確定するという方法的手順によって、特定の時期の経済構造と変化世界史的発展段階として解明されよう。


次の例。305ページ。

まず、80年代後半NIESは日本から原材料、部品、機械設備などを輸入し、完成品を米国向けに輸出する日本・NIES・米国の成長トライアングル網が形成されたが、(中略)

NIESは」と主語があるので、この主語を受けて終わる述語を探しながら読んでいくと、突然、「成長トライアングル網が形成されたが」という表記に出くわす。ここまで読み進めて初めて、読者は、「NIESは」の述語が実はこのもっと前に既出の「輸入し」であり、ここで一文が終わり、ふたつめの主語として「成長トライアングル網が」があり、それが「形成された」という述語で終わるという、重文の構造になっていることに気づかされる。このように、ある程度読み進めないと、「輸出し」という語句の機能が実は述語であったとかがわからないというのでは、文章として劣悪である。文章は、「一読直ちに了解」であるべきで、行きつ戻りつしないとわからないというのは、ダメな文章だ。そこで、たとえば以下のようにすると、わかりやすい。ゴシック体の部分が改善箇所。

まず、80年代後半以降、NIESは日本から原材料、部品、機械設備などを輸入するようになった。こうして生産された完成品米国向けに輸出されることで、日本・NIES・米国の成長トライアングル網が形成されたが、(中略)

下手なのに重文にするからわかりにくくなる。思い切って二文に分割し、「一文一主語一述語」にしたほうが、わかりやすい。文章はわかりやすくてナンボである。


最後に、相当重症な例。299ページ。

経済のグローバル化の進展はグローバル化を推進するIMFWTOなどの国際機関や先進諸国会議サミットなどに対する抗議行動として反グローバル化運動が世界的に頻発している。

ひどい文章である。中学生でもこんなひどい文章は書かないだろう。「経済のグローバル化の進展は」という表現が冒頭にあり、これが主語かと思いきや、さらに読み進めると、「反グローバル化運動が」という主語が出てきて、述語として「世界的に頻発している。」で文章そのものが終わっている。「経済のグローバル化の進展は」という表現は、何だったのだろう。私なら以下のように添削指導する。ゴシック体の部分が改善箇所。それにしても、そもそも「先進諸国会議サミット」という表記自体から、イカれている。中学校社会科の復習が必要。

経済のグローバル化の進展のなかで、グローバル化を推進するIMFWTOなどの国際機関や、先進国首脳会議(サミット)などに対する抗議行動としてグローバル化運動が世界的に頻発している。

ああ疲れた。どうしてこのようなまともな文章が書けないのだろうかこの人は。