読了(大泉『消費するアジア』)

消費するアジア - 新興国市場の可能性と不安 (中公新書)

消費するアジア - 新興国市場の可能性と不安 (中公新書)

これは、大変に良い本である。十年に一冊とは言わないまでにしても、五年に一冊出会えるかどうかというぐらい、優れた経済新書である。

タイトルに反して、消費のことはさほど論じられていない。むしろ、すぐれて現代東・東南アジア政治経済論である。特に発展を続ける大都市圏(本書ではこれをメガ都市と読んでいる)と、依然として貧困や低所得という問題を抱える地方・農村部との格差が、一国の政治的・経済的な安定的発展を難しくしていくという指摘(「新興国のワナ」)と、そのメカニズムの考察(本書第5章)が、出色である。

本書を読めば、タイと中国という二つの中進国が、社会的な安定を掲げる政策を推進していることの世界経済的意義を、統一的な枠組みで理解することができる。おそらくこれは、今後の21世紀世界のなかで、多くの途上国で問題になっていくと思われる点であり、この点は、私が本書を読んで最も勉強になったところである。また、タイのこの数年の政治的混乱についても、末廣氏や玉田氏の本を読んで勉強していない私が悪いのだが、ようやく、明確で納得できる、しかも簡にして要を得た説明に接することができた。

著者の大泉氏は、前著『老いてゆくアジア』で、アジアの高齢化を指摘した。著者が、数十年という中長期のスパンでアジアの先行きを睨んでいることは、間違いない。その著者ならではの、アジアの高度成長の先にある大きな課題も、本書では指摘されている。それは、上海やバンコクに見られる高度成長が、じつは農村部にまで行き渡るかどうかはかなり疑問だという指摘である(第4章)。アジアの経済発展には、その高速性ゆえに、欧米日とはまったく異なる、独特の「歪み」が生じている。アジア各国の発展は、欧米日が経験してきたような、バランスの取れた政治的および経済的発展になっていないのである。たとえば建設機械大手のコマツの社長の坂根正弘氏などは、建設機械の需要の伸び方から、中国経済の発展をかなり強気に見ており、こうした主張は日経新聞でよく開陳されているのだが、本当にそうだろうか、と疑問に思えてきた。アジアの経済成長には、独特の歪みがある以上、これを日本の高度成長と同じような感覚で捉えてはいけないのだということを、痛感させられた。この点も、勉強になった点である。

このように、本書は、日本人の東・東南アジア経済像を大きく刷新してくれるすぐれた啓蒙書である。アジア経済について既に勉強した(している)研究者や大学院生が読んでも面白いが、学部生でも読める。とはいえ、本書には数式は殆ど出てこないものの、国際経済・開発経済の正統的なフレームワークに即している。その意味で、国際経済学開発経済学をちょこっと勉強した学部生が読むと、理論の現実との繋がりもわかって、理論の復習にもなると思われる。日本人は、大泉氏というアジア経済を広域的に語れる論者を獲得できたことを喜ぶべきだろう。

本書には、明確な誤植も見当たらなかった。ただ強いて悪い点を挙げると、「消費するアジア」というタイトルは、どうだったか。サブタイトルにある「アジアの可能性と不安」のほうがむしろ内容をよくあらわしていたように思った。じつは本書は2011年5月に刊行されているが、刊行時に私は本書を購入しなかった。その理由はひとえに、本書を、そのタイトルから、消費マーケット解説的な書かと勘違いしてしまい、それで敬遠していたのである。また、最後の第6章は、本書全体からすると若干とってつけたような感が無きにしも非ずではあった。

とは言え、以上は、本書の評価を損なうものではない。むしろ多くの人にお勧めできる良書である。多くのインテリは、社会学者の書いた新味の無い世界経済本を絶賛しているが、これより10倍は面白く、勉強になる。だいたい、ある本が読み応えがあるかどうかは、最初の1章を読めばわかる。私はドーアが書いた本は、最初から「こりゃダメだ」と思った。大泉氏の手による本書は、最初の1章で「これはいい」と思った。その評価は、結局最後まで変わらなかった。ドーアの本に対して絶賛書評が多く出ている一方で、本書に対して書評があまり出ていないのは、理不尽だと私は思う。