読了

現場主義の知的生産法 (ちくま新書)

現場主義の知的生産法 (ちくま新書)


少し古い本だが、これはなかなか為になると思う。特に、(研究者に限らず)ペーパーや報告書の類を四六時中書きまくらなくてはならない人々、あるいは、そうなりたいという人々には、役に立つ部分がある。なんでも、著者は、年間で長短100本以上の原稿(著作は別)を書いているというから並大抵ではない。少なくとも私は、大学人でこれだけ書いているという研究者を他に知らない。私の周りにも、多作の研究者は少なくないが、とても3ケタには達していない。せいぜい30ぐらいではないか。

著者によれば、原稿は締切よりもかなり早くに提出しろ、字数は厳守しろ、多すぎても少なすぎてもいけない、依頼の字数にぴったり合わせる気持ちで、また締切よりもかなり早くに提出していると、そのうち原稿の依頼が増える、なぜなら編集者の間で「あいつは大丈夫だ」(筆が早い)という評判が立つから、原稿を書くことは編集者との共同作業であり決して一人で書けるものではない、とのこと。また、締切よりもかなり早く提出することが何よりも大事で内容はその次、などとも述べられており、これなどは若い書き手には同意できないかもしれないが、私も編集者の端くれとして、上に示した著者の見解にはすべて、激しく同意したい。


グローバリゼーションとはなにか (こぶしフォーラム)

グローバリゼーションとはなにか (こぶしフォーラム)

まったくダメ。反グローバリゼーション運動というか、グローバル経済の再設計の提案の具体案には初見のものがあり、これは価値があるが、あとは、「ただ怒鳴っているだけ」。
この書におけるように、反グローバリゼーションとして、「経済が社会を破壊する」とか「格差が拡大する」とかいう類の主張は、まったく説得力を持たないと思う。というのも、ネオリベラル・グローバリゼーション推進派にとっては、自らが豊かになりさえすれば、途上国の貧困などどうでもいいことかもしれないからである。
つまり、いくら格差増大や社会破壊を警告しても、ネオリベラル・グローバリゼーションを変えるというインセンティブはどこからも湧き上がってこない。では、どうすれば、ネオリベラル・グローバリゼーション推進派に対して、現行のグローバリゼーションを改変しようという気にさせることができるのか。ネオリベラル・グローバリゼーション推進派が脅かされている「セキュリティ」に訴えるというのが一つの方向性であるが、これとて、ゲーテッド・コミュニティや監視社会化という解決策を持ち出されれば苦しい。実のところ、こうした点を突き詰めていくことは、反グローバリゼーション運動の重要な課題なのだと思う(いまのところ、ほとんど検討されていないけれども)。そしてそれは、必ずしも、「グローバル」な運動であることを意味しない。反グローバリゼーションの対抗策が、グローバルである必要はないのであって、地域独自の方策が各地に生まれてくることを期待したい。