「実家に帰らないのですか?」

昨日は年内最後の出勤。帰りの電車はいつもよりもかなり空いていた。最近は、年末の休みを取りはじめる日が、早くなっているのではないか。自分が子どもの頃は、民間は30日ぐらいまで働くのが普通だった気がするが、最近は公務員と同じように28日までという企業が多い(出入りの業者も「28日までだ」と言っていた)。御用始めとなると、5日、6日からというところも多く、実はかつてとは逆に、民間人のほうが何気に公務員よりも長期間休んでいるのである(公務員は4日から)。2006年は、1月10日から仕事開始という人も多いのではないか。


ところで毎年この時期になると、いろんな人から、いろんな時に、いろんな形で聞かれる質問として「今年は実家に帰らないのですか?」というものがある。そこで「帰らない」と返答すると、まず8割方は怪訝な顔をされる。だが我が家の両親は、毎年年末年始を海外で過ごしているから、実家に帰っても誰もおらず、帰る理由がない*1。今年も去年も一昨年もその前年もずっと帰っていない。そもそももう何年も帰省していないし、その気にもならない。最近は、親子の間で「正月は会わない」という暗黙の了解ができてきたので、まことに心地よい。


アメリカやイギリスで、帰省ラッシュというものがあるという話は、あまり聞いたことがない。エマニュエル・トッドの家族人類学を敷衍して言えば、そもそも「絶対核家族」や「平等主義核家族」では、成人した子供と親との関係は希薄であるから、毎年1-2回、親に会うために集団的に移動する「帰省ラッシュ」というものが英米で観察されなくても、一向に不思議ではない(もちろん、個別には例外がいくらでもあろうが)。


日本人が、成人しても、結婚して家族を持っても、毎年1〜2回は帰省して親と会おうとするのは、「直系家族」の国だからであろう。だから、「帰らない」というと、怪訝な顔をされるのである。中国も旧正月に民族大移動が繰り広げられる国であるが、こちらは「共同体家族」の国である。


成人しても、あるいは既婚者であってさえも、親との関係が密接な家族類型が支配的な地域では、「徒弟制度」が発達しやすいように思われる。言うまでもなく、ここで「師匠」は、近代化・産業化・都市化のなかで、一緒に住むことができなくなった「親」の擬似バージョンに他ならない。つまり「師匠」は、農村に居続けている「親」の都会における代替物なのである。成人しても親と密接なツナガリを持つべきだというカルチャーがなければ、「師匠」に長年仕えるということにはなりにくいだろう。ドイツで「徒弟制度」が発達しているのは、この国で支配的な家族類型が、日本と同じく「直系家族」だからである。イタリアも、日独ほどではないが、同様の傾向が見られる。ただし徒弟制度は、弟子のなかでも上下関係を必要とするから、「共同体家族」が支配的な地域では、あまり発達しない。「直系家族」では兄弟関係が不平等なのに対して、「共同体家族」では兄弟関係が平等だからである。ここで「弟子」は「兄弟」の擬似バージョンである。
さらに言えば、「ゼミナール」という制度は、「徒弟制度」の大学バージョンである。だからゼミナールはドイツで発達したのである。日本のゼミナール制度は、ドイツからの輸入である。徒弟制度であるから、寝食を共にすることになる。これが「ゼミ合宿」「ゼミ旅行」「ゼミコンパ」と呼ばれるもので、こういうイベントは英米の大学にはない*2


逆に英米は「絶対核家族」なので、成人後に親と一緒に住むということがほとんどない。よって「徒弟制度」が発達しにくく、代わりに、熟練を必要としない一攫千金的なギャンブラー資本主義が発達する。このように考えると、博打的なM&Aを連発するホリエモンが「母親には何の愛着もない」と言ってのけるのも、当然のことだろう。堀江家はおそらく、日本には珍しい「絶対核家族」的な家族なのである。正月を親子別々に過ごすわが家族も、やや「絶対核家族」的な傾向がある。


いずれにせよ、家族類型が、市場や国家を規定する上で無視すべからざる影響を与えているのは間違いない。最近は政治学者も経済学者も、こぞってゲーム理論統計学を勉強しているが、それよりもむしろ、政治的・経済的な組織形態を根底で左右する家族人類学を勉強すべきだ、というのが自分の持論である。フランシス・フクヤマ『「信」無くばたたず』(isbn:4837955290)は、こうした系譜に位置付けられる優れた書だったが、最近この種の議論が少ないのは残念なことである。2006年には、こういう問題意識から書かれた本が刊行されることを、期待したい。

*1:ちなみに実家からは、旅行に行く前に決まって、インスタントラーメンやらレトルトご飯やら缶詰などが詰められた宅配便が、送られてくる。「要らないから送るな」と言っているのだが、一向に改まらない。そもそも輸送費をかけて安いインスタントラーメンを送るというメンタリティが、自分には理解できない。現物給付が愛情のつもりなのかもしれないが、それならば「現金給付」のほうがよろしい。部屋のスペース的にも、モノを大量に送られると困るのである。http://sumai.nikkei.co.jp/rent/selection/column1001.cfm

*2:「ゼミ合宿」「ゼミ旅行」というのは、いつ頃から、どのような変遷を経て、今日に至っているのだろうか。これは、歴史社会学の研究テーマになるのではないか。けっこうおもしろい論文が書けるかもしれない。