人間にとって、恋愛とは何か

睡眠や食事と異なり、恋をしなければ生命の危機に陥るなどということは、基本的にはない(再生産についてはここでは考えない)。なのになぜ、人は恋をするのだろう。


「恋愛は、トータルでは、いいことよりも、つらいことの方が多い。しかし、つらいことが多くあっても、少しのいいことによる効用が、多くのつらいことによる不効用をはるかに超えるからこそ、人間は恋愛を求める」というのは、友人が漏らした言葉だが、この言葉には、人間という生き物にとっての恋愛の本質が、見事に集約されていると思う。「少しのいいことの効用」は、「多くのつらいことの不効用」を圧倒するほどの快楽を与えてくれる。だから、どれほど「多くのつらいことの不効用」があっても、人間は、「少しのいいことによる効用」を求めて、恋愛をするようにプログラムされている。


最近の脳科学の研究成果によると、人間が恋をしているときにはPEAというホルモンが脳内に分泌されており、しかもこのPEAは、化学的には覚醒剤に限りなく近いとされている。つまり人間が恋をしているときというのは、化学的に言えば「シャブ漬け」なのである。


だから、恋愛に夢中になっているときには異常にエネルギーが沸いてきて、テンションが高まったり、睡眠時間を削ってでも生活できたり、仕事の生産性が高まったりするというのは、別に何の不思議でもなく、ごくごく当然のことである。「英雄色を好む」というのも、同じことだろう思う。何せ、覚醒剤を打ったのと大差ない状態なのだから、仕事がバリバリできて当たり前なのである。また、恋をすると、食欲が落ちてやせたりするということがあるけれども、これも覚醒剤を体内に取り入れたときに陥る状態と似ている。さらに、一つの恋が終わると、妙にぐったりして何もしたくなくなったりすることがあるが、これはPEAが出なくなったからであり、「覚醒剤が切れた状態」である。それから、よく「自分は常に恋をしていないとダメ」という人がいるのだが、こういう「恋愛中毒」な人は、化学物質的には「シャブ中」ということになる。


こう言ってしまえば、ミもフタもないけれども、結局のところ人間は、化学的には「覚醒剤」を求めて恋愛をしているといっても過言ではないのだろう。よく、シャブ中毒者は、「覚醒剤が手に入りさえすれば、なんでもする」と言う。これは、覚醒剤を摂取することの効用の大きさが、多くの不効用を上回っていることを如実に示している。そしてこのことと、「『少しのいいことによる効用が、多くのつらいことによる不効用をはるかに超える』からこそ『多くのつらいことの不効用』に耐えてでも『少しのいいことによる効用』を追い求める」という恋愛の本質は、基本的にとてもよく似ていると思う。


それから、仕事のよくできる年長者に限って、しばしば年に関係なく恋に走っていたりするというのは、古今東西を問わない世の常だけれども、これはひょっとすると論理が逆なのかもしれない。つまり常日頃から恋をしていてPEAが脳内に充満しているからこそ、仕事の生産性が上がっているのではないか、と。