読了(トッド『文明の接近』)

文明の接近 〔「イスラームvs西洋」の虚構〕

文明の接近 〔「イスラームvs西洋」の虚構〕

この本は、トッドのこれまでの著書を読んでいなくても理解できるようにいちおうはなっているが、できれば、彼の家族類型論をある程度把握していたほうが理解しやすい。
本書を貫く基本的な命題は、「識字化」(識字率50%超)→「宗教の退潮」→「出生率の低下」である。より詳しく言えば、特に男性の識字化は、伝統社会との断絶を意味し(親の世代は文盲なのに子供の世代は字が読める)、この伝統社会から近代社会への移行に伴い、「移行期危機」とも称すべき政治的暴力(フランス革命ロシア革命、ナチズム、日本の侵略戦争など)が発生しやすい、という(どのような政治的暴力につながるかは、伝統社会における4つの家族類型によって、異なる)。そして、これがトッドの最も言いたいことだが、要は現在のイスラーム社会における暴力の位相というものも、こうした「移行期危機」なのであって、イスラームと西洋が本質的に対立関係にあるわけではなく、人口学的な移行期危機を乗り越えれば、イスラーム社会も西洋社会と似たような近代社会に近づいてくる(なので、「文明の衝突」は起こらない)というもの。では、どの段階まで進めば伝統社会から脱し切ったと言えるのかというと、男性の識字化の後に起こる女子の識字化が進み出生率が置き換え水準まで低下すると、この伝統社会からの離脱が完了する、ということ(だと思う)。
つまり、現在の世界で「文明の衝突」に見えるものは、じつはイスラームとは関係がなく、これらは、イスラーム社会の多くがたまたま現在、識字化の進行と出生率の低下という時期に差し掛かっているがゆえの移行期危機に過ぎないのであり、またこうした移行期危機は先進諸国もいろいろな形で経験してきたのだ、だからイスラム原理主義についてもあまり心配しなさんな、というのがトッドのメッセージだろう。言い換えると、本書は、世界の対立を、空間論ではなく時間論(先進国とイスラーム社会の時間的なズレ)で説明しているのである(この点は、世界の不平等を空間論で説明した従属論と、それが批判の対象とした、世界の不平等を時間論で説明した近代化論、という対立を想起させる)。

なお、宗教の原理主義的なムーブメントは、実際には宗教の退潮によって引き起こされることが多い(だからこそ、退潮傾向に対抗するための原理主義的な動きが出てくる)、という指摘は、なるほどと思わせる。ただしイスラム原理主義については、「理想社会の実現のためには、いかなる多数の死者でも許容される」という考え方であり、これはもともとイスラム思想のなかには存在せず、むしろ19世紀後半のヨーロッパの革命運動がその先駆けである(これがロシア革命につながった)という、ジョン・グレイの指摘もあり、こうした解釈とトッドの解釈との相違や接合可能性も、考えてみる価値があるだろう。

本書を読んでいて疑問に思ったのは、トッドの言う「出生率の低下」というのは、「合計特殊出生率が3.5以下」などという明確な定義があるわけではない、という点である。これは、トッドがグラフを見て「出生率が低下しはじめた」と言えば、実際の出生率が5.0であろうが7.0であろうが、「低下」とされてしまうことを意味している。つまり、この概念は融通無碍に使われている可能性がある。より直截的に言えば、トッドが本文で言っている「A国はXXXX年に出生率が低下しはじめた」という判断は、恣意的な可能性があるのではないか、ということだ。でも「デカイ」話が好きな人は、読んでみても良いだろう。